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変拍子の音楽 [音楽について]

もう何年か前のことになるんだけど、娘に面白いものを教えてもらった。「赤髪の白雪姫」というアニメ。今ではとっくに終わってしまってるけど、原作は昔懐かしいLaLaに連載している漫画らしい。LaLaってまだあったんだ。

そのアニメの主題歌を主人公役の声優が作曲して自ら歌っている。漫然と聴くとよくわからないけどこれがなかなか面白い。サビは4/4拍子なんだけど、移行部は5拍子で歌のある主部は拍子が複雑に交代している。娘の説によると、いわゆるプログレで育った世代を親にする子供が曲を作るようになって、子守唄がわりに聴いたプログレのせいで彼らに変拍子に対する抵抗がないからではないか、という。

プログレで育ったというとまさしく僕のことで、変拍子には思い入れがある。その話を書こう書こうと思いながら今頃になってしまった。このところ仕事で行き詰まってた問題に見通しが見えてちょっと楽になったのでまとまったものを書こう。久しぶりに渾身の記事である。

ここで「変拍子」というのは2、3、4拍子以外の素数拍子や、1小節ごとに拍子が変化する拍節リズムをいうことにする....

おそらく太古の昔、人間が歌うことを始めたころ、歌は言葉の1音節に対して1音が対応して、かつ等音価(音の長さがみんな同じ)だったんだろう。もちろん本当にどうやって始まったかは記録がないのでわからない。しかし例えばグレゴリオ聖歌の中でも古いものはあきらかにそうなってる。音程付きのお経である。例えばIMSLPにあるこんなの
0326gregorian.png
現代音符に書き直してみると
0326gregorianmodern.png
たぶん、合ってると思う。おそらくそれぞれの音の長さは一定(付点音符がちょっと長い)だと思われるけど、そもそも言葉の音節が1音に対応しているということはこの楽譜からわかる。

グレゴリオ聖歌でも時代を下ると言葉の1音節が複数の音に対応するのも現れる。「Alleluia(アレルヤ)」にはそういう流れるようなメロディがついているのがよくある。たとえばやっぱりIMSLPから
0326alleluia.png

現代譜に書き直さなくても、アレルヤの「ia」が細かなコブシ(小節)を伴ってずっと伸ばされていることはわかる。

ヨーロッパ中世の時代の吟遊詩人たちがどんなメロディで歌ったのかはわからないけど、歌詞は残っている。その多くはギリシャやローマの時代の詩のような、音節数とアクセントが厳密に決まった枠の中に無理やり押し込めた詩ではなかったようである(脚韻は踏んでいるが)。つまり中世ヨーロッパでは聖俗どちらの歌もフレージングは言葉の文節で決まって、一定の拍子が続くというのは無かったと思われる。



いっぽう、踊りは拍子が早く確立したはずである。踊りはちょっと離れたところにいる他人にもわかりやすいボディランゲージである必要があるので、例えば指を折るとか舌を出すというような小さな動作ではなくて、手足を縦横に動かさなくてはいけない。さらに大きな動きのためには足を使って移動することになる。そうすると足は2本しかないので、ステップを踏んでそれを繰り返すことになる。その基本は歩くことなので、アラ・ブレーヴェ(2拍子)が最も早く確立したんだろう。ただ、歩き続けると何処かへ行ってしまうので、踊りのためには向きを変えたり後戻りをしたりを含めて一定の場所(舞台あるいは結界の内部)から出ないようにすることになる。それがひとかたまりの1コンパスになる。一定の拍子の繰り返しをひとまとまりにする小節構造ができることになる。

ヨーロッパの中世では交易が盛んになって都市に人があつまるようになってきた。おひねりを求めて歌手踊り子リュート奏者も集まってきて、別々にするぐらいなら一緒にやろう、伴奏付きで歌や踊りを披露して派手にやれば人が見聞きしてくれるだろう、みたいな話になって、つまり歌踊り器楽の拍子がそうやって混交することになったのではないか。残念ながら楽譜が残っていないのでどんなふうに発展してきたかというのは想像するしかない(最古のリュートタブラチュア出版譜と言われるスピナチーノの曲集を見てもすでに単純ではあるけどきれいに拍節のはっきりした曲ばかりになっている)。

そうなると踊りも言葉の韻律を持ち込んで、リズムが多様化したんだろう。ヨーロッパではドイツ語圏にはアラ・ブレーヴェ(か4拍子)が多いのに、フランスイタリアには3拍子があったり、スペインではむしろ3拍子の方が普通になっている。イギリスには6拍子(アラ・ブレーヴェの1拍が3音)がある。これは言葉の韻律が踊りのリズムに反映した結果のように僕には思われる。

一生の間に数えるほどの他人しか見ない農村では年寄りの歌う少数の曲を何度も聴くことになるので、複雑なコブシの持つ意味や情感や機微が聴き手にじわりと伝わるが、人口の大きな港町などへ興行に集まった歌い手踊り手器楽奏者は、まず聴いてもらうことから始めなければならない。長い素数拍子や複雑な拍子の交代があると、聞き手にとっても理解の妨げになる。ずっと4/4拍子で2小節あるいは4小節でまとまっていると予測がつきやすく、構造がわかりやすくなる。たくさんの曲をそれぞれ一回きりしか聴かないような状況が起こってくると、わかりやすさは成功への重要な足がかりだったはずである。



最初に書いたように歌はもともと言葉に音程をつけたものだったので、言葉のリズムが優先されて一定の拍子は持たなかったけど、上のようないきさつで器楽伴奏されて踊りの要素を持ち込んだ結果、拍子を持つようになったんだろうと僕は思っている。

中世ではお経を坊主だけが閉ざされた場所で唱えていたけど、人が増えてくると教会で説教の合間に信者が歌うセクエンツィアや賛美歌には、会衆にも歌いやすいように繰り返し構造が与えられるようになった。時代が下ると歌詞も聖書の言葉以外に、歌専用の決まった韻律を持つ詩が作られて、歌にも拍子を持った小節構造が導入されたと思われる。バッハのカンタータにはバッハ以前に作曲されて教会で歌われたメロディがコラールとして含まれている。たとえばBWV40のカンタータのふたつめのコラール
0326bwv40choral.png
小さくて見づらいけど、2小節ずつ組になって16小節あることがわかる。この歌詞は聖書からではない、専用に作られたもので
    Schuttle deinen Kopf und sprich:
    Fleuch, du alte Schlange!
    Was erneurst du deinen Stich,
    machst mir angst und bange?
    Ist dir doch der Kopf zerknickt,
    und ich bin durchs Leiden
    meines Heilands dir entruckt
    in den Saal der Freuden.
というような、音節数がある程度揃っている上に韻を踏みまくった詩になっている。カンタータのコラールでは聖書の1節が取られることもあってその場合、歌詞としての韻律を持たないけど、それでも4拍子の偶数小節に詰め込まれていることがよくある。

このようにバッハの前の時代にはすでに、歌であっても一定の拍子を全曲にわたって保持するのが普通になっていた。

僕はさらに思うところがある。それは西ヨーロッパではルネサンス以降、数学のような形式論理が急速に発達して、還元主義的な思想に基づく物理学が徐々に成功を収めていきつつあった。ひとつのブロックのような拍子を持つ小節が「小さな素数の積」からなる個数の集積からできあがるような構造は、還元主義とは無関係な音楽であっても、人々に好まれるようになって、そういう構造が「美しい」とみなされるようになったのではないかという気が僕はする。

ちなみに日本では西洋の音楽が輸入されるまで3拍子が存在しなかった。浄瑠璃のような語りの要素が含まれるような場合には、グレゴリオ聖歌と同じで拍子や小節構造がなく、さっきの「アレルヤ」みたいな複雑な装飾音符(コブシ)がついた音楽であることが多いけど、能や歌舞伎の音楽はほぼすべてが4拍子である。日本語の持つ言葉の韻律が反映した結果だろうとぼくは思っている。ずっとあとの長唄では韻律が統一され(5-7-5など)て、さっきのコラールのように決まった小節構造に押し込まれて、僕には4拍子12小節あるいは16小節のように聞こえる。

今、「日本には3拍子がなかった」と書いたけど、6拍子系は存在した。たとえば僕には上方落語の「はめもの」のうちの「走り」がなじみである。こんなの
0826running.png
これは例えば「七度狐」で喜六清八の二人が煮売屋のオヤジの目を盗んで「イカの木の芽和え」を強奪して走り去る場面で鳴らされる。元は歌舞伎だろうけど、こういう6拍子系は気楽さ陽気さ調子の良さを表すようなお囃子によくある。それでも1拍を2-1に割ることはあっても3つに割ることはない。これは還元主義とは無関係で、日本語の韻律が反映した結果だろう。



そうやって日本でも西洋でも歌は2、3、4拍子のどれかで全体が$2^n$小節に詰め込まれることが多くなっていった。

ずっと後の話ではあるけど、ポピュラー音楽は初めからがっちりした小節構造を持って生まれることになる。多くの曲が4拍子16小節(ブルースでは12小節)でひとまとまりで、歌詞だけを変えて繰り返される。さらにこの50年ほどはジャズからの影響で、ほとんどの曲にアフタービート、つまり2、4拍にスネアのアクセントがついている。当時の録音技術の発展をバックに、AMラジオとアナログレコードの普及によってポピュラー音楽は量産を前提とすることで巨大な市場になった。たくさん作られて次々に消費されるべくして生まれた音楽は、ちらっと聴くだけであっても、パッと聞き手の心を掴まないといけない。いつ区切りが来るのかわからないような複雑な構造では日の目を見ることはあきらかに不可能だった。

でもそういう構造は、例えばコラールを聞けばわかるように言葉との関係が希薄になって、同じメロディに違う言葉があてられるようになる。ポピュラー音楽では初めからそうなっている。そうすると言葉を音響として聴くようになって、わかりやすさのためのはずだった繰り返しが、単純さや退屈さにつながるようになってくる。

さっきのバッハのコラールも、押韻の美しさというよりはむしろ4拍子偶数小節に押し込まれた窮屈さや不自由さを感じてしまうのは僕だけではないだろうと思う。バッハ自身もコラール以外のところでは羽根を伸ばすように自由なフレージングを誘うようなパッセージを使ったり、グレゴリオ聖歌風の単調なメロディをバックに全然別のフレージングを持つテーマでフーガを展開したり、ということをやっている。しかしバッハは楽譜上は変拍子や小節ごとの拍子の交代は一切書かなかった。



そのようにして西ヨーロッパではルネサンス以降の還元主義が成功を収めた時代に変拍子は完全に駆逐されてしまった。しかし、他の地域では自然な言葉を乗せた歌の自然なリズムとして残っていた。以前日本でも流行ったブルガリアの地声の女声コーラスも楽譜にしようとすると1小節ごとに拍子を変えないといけない曲がある。バルトークが採譜した民謡のなかには音符にするとくるくる拍子が変わるような曲があるし、とくにブルガリアの音楽にはバルトークでさえ驚いてしまって「いわゆるブルガリアン・リズム」なんていう小論文をその勢いで書いてしまっている。そこにはこんな音符がある。

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これはバルトークが採譜したものではなく、ブルガリアの学校の教科書にある「クリスマスの歌」だそうである。これをかなりのスピードで歌うようである。ブルガリアでは子供がこんな複雑な拍子を歌えるらしい。バルトークは
私の印象では、この音価の増大は強弱アクセントの時間軸上への移し替えによるものだ。
とだけ書いて、それ以上の分析は諦めている(中公文庫「バルトーク音楽論選」)。

マーラーにも一小節ごとに拍子が変わる曲がいくつかある。交響曲の6番のスケルツォが一番有名である。例えば2番めのトリオの出だしでオーボエがこんなフレーズを吹く。
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1小節ごとに拍子が変わって、しかも妙に細かくアーティキュレーションが指定されている。 これを不安定さのあわられと見るのが一般的である(Wikipediaにもまさにそう書いてある)し、彼の妻のアルマは子供のヨチヨチ歩きだと言ったりしている。

マーラーの生まれたカリシュトは現在のチェコのほぼど真ん中に位置する農村で、子供の頃は農民たちの歌う民謡を聞くことも多かったはずである。そういった歌には、一定の拍子が連続する小節構造にむりやり押し込める西ヨーロッパ的な美学は浸透していなかった。いっぽうアルマはウィーン生れのウィーン育ちで画家を父に持つ西ヨーロッパ的美学の訓練を受けた体現者だった。当時の西ヨーロッパの知識階層にとって東ヨーロッパの農民の鼻歌なんかは価値の低い、取るに足りないものと考えられていた(前出の本ではバルトークが価値が低いとみなされて失われてしまった音楽を嘆き、そういう西ヨーロッパ的価値観に基づく愚行に憤慨している。さっきのブルガリアの歌をアルマならどう言っただろうか)。



ようするに、変拍子が異常さや不安定さを表すとされるのはバッハよりちょっと前あたりから発達したいわゆるクラシック音楽から見たときにそう見えるだけであって、たかだか3、4百年の間に確立した考え方に過ぎず、実はそれほどおかしなことではない、ということである。

その変拍子が特別ではなかったことを数百年ほどの間に忘れてしまった西ヨーロッパでは、19世紀から20世紀の変わり目のタイミングで、リズムの退屈さを免れるための手段として変拍子を再発見する。いちばん有名なのはストラヴィンスキーの「春の祭典」である。彼は子供の頃サンクトペテルブルグのすぐ近郊で過ごした。西ヨーロッパの還元主義的思想に染まってなかったし、サンクトペテルブルグという大都市に溢れる雑多な音楽に囲まれて育ったので、変拍子に対する西ヨーロッパ的偏見を持っていなかった。彼の「ペトルーシュカ」にも変拍子はたくさん含まれているけど、それとほぼ並行して書かれた「春の祭典」は変拍子のデパートのようになった。

「春の祭典」の、特に最後の「生け贄の踊り」はブーレーズが分析したようにいくつかの長さの小さな「リズム細胞」が集積することで出来上がっているとみなすことができる(ブーレーズ以外の見方もあるらしいけどよく知らない)。儀式の中心である生贄に選ばれた娘が痙攣しながら死を迎える場面ということになっている。たしかに小さくて不規則に思えるリズムは痙攣的かもしれないけど、もしブーレーズの言う通りなら、ずいぶんシステマティックに制御された痙攣だということになる。ちなみにブーレーズの「春の祭典」に対するこういう分析があるのにマーラーの変拍子に対してはいまだに「不安定」なんていう見方のままなのは、頭の固い、残念なことだと僕は思う(さっきあげた6番のスケルツォのメロディをちゃんとよく聞けばシステマティックな構造を持っていることはすぐわかる。これを「不安定」だというのはアルマ達に植え付けられた先入観だと気がつくのは難しいことではないはずである)。

それはおいといて、指揮者のバーンスタインはブーレーズとは見方が違っていたらしい。彼のスコアへの書き込みがニューヨークフィルのデジタルアーカイブで見ることができる。彼は「生け贄の踊り」のスコアの頭にこう書いている。
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走り書きのような字で
小節の割り当て直し(Re-barring)はニコラス・スロニムスキーによる(© 1924)LB(レーナード・バーンスタイン)」
と書いてあって、赤い線で小節線が引いてある。もとの拍子とどう違うのか最初の部分を抜き出して比較してみると(たくさん書くのは面倒なので第1バイオリンのパートだけ書いたけど、十分わかると思う)
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上の段がオリジナルで、下がバーンスタインの引いた赤い小節線。16分音符が基本の細かく変化する拍子が、だいたいの部分で8分音符の3拍子になっていて、ひとまとまりの後に辻褄合わせ的な小節がはさまるように再解釈されていることがわかる。

もし、ストラヴィンスキーがブーレーズの言うように作曲したんだとすると、バーンスタインの小節線の入れ方(元はスロニムスキーだとバーンスタインは書いてる)はそれをぶち壊すことになる。でも百人を超える4管編成の大オーケストラでリズムを合わせようとしたときどちらがやりやすいか、というと当然バーンスタインが引いた小節線の方が簡単である。そういう演奏の現場的な方便として再解釈したのかもしれないし、また大雑把なバーンスタインのことだから「これでも音の並びかたは同じじゃん。いいよこれで」とか言ったのかもしれない。

同じことが他の曲にも可能である。例えばミニマルミュージックの有名曲であるライヒ「Tehillim」は2拍3拍が不規則に交代する長い曲で、演奏者に極度の緊張を強いる。この曲の出だしはこんな風に、女性ボーカルによるヘブライ語歌詞の速いフレーズで始まる。
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上の段がボーカルのラインで、そのさらに上にある三角や縦棒は作曲者が指示したリズム細胞である。

その下は僕がスロニムスキー・バーンスタインの真似をして4/4拍子に無理やり押し込めたものである。なんとなく元の緊張感は薄れて、普通に見える。



つまり見方によっては変拍子ではなく「シンコペーション」とみなせるということだろう。ジャズではインプロビゼーションを重視するので複雑な変拍子を演奏しながらメンバの合意形成的に合わせるということは不可能なので、基本のコンパス(例えば4/4拍子12小節)は一定で、その単調さを避けるためにシンコペーションを多用した。全体は一定のコード進行とビートが保持されて、その中で音程の選び方アクセントのつけ方で多様性を作り出し、さらにそれが演奏者間で呼応し合うという統一感と緊張感がジャズの醍醐味となる。

デイヴ・ブルーベックの「Take Five」のような変拍子の曲もわずかにあるけど、多くは当時のポピュラー音楽を取り上げて、その和音進行をベースにインプロビゼーションを展開する(和音進行そのものも極端に拡大解釈される)、という手法をとることがほとんどだった。1950〜60年代には一歩間違えばバラバラになってしまうかのような緊張感に満ちた名演と、本当にバラバラになってしまって意味不明になった駄演があふれかえった。

もうひとつの20世紀音楽であるロックは、ポピュラー音楽をベースに、若者の社会性やその反抗精神をまとって始まったが、音楽としてはジャズのビートとインプロビゼーションを取り込んで、さらに電気で音量と機能が拡大された楽器を使うという独特のスタイルを持っていた。

ロックはインプロビゼーションを重要な要素としたけど、ジャズと違ってそれを中心には置かなかった。レッド・ツェッペリンの曲のようにあえて頑として「死んでも和声は進行させないぞ」というような曲もあるけど、どちらかというとクラシック音楽に近いオリジナリティあるメロディや和声進行、あるいはリフを重要視して、そこにインプロビゼーションの緊張感を鼻薬として加えた。

ロックは当時すでにガンジガラメになっていたポピュラー音楽と違って急速に多様化が進んだ。多様化の急先鋒だったのがプログレッシブロック、いわゆる「プログレ」である。プログレは1970年代の10年ほどで、クラシックの約300年、ジャズの100年近くの発展を同じように辿ってあっというまに発散してしまう。

プログレの特徴としてよく言われるのが「1曲が長い」ということである。年がら年中「オイラはあの娘に首ったけサ」みたいな曲ばかりやってたのでは退屈だし、若いとはいえいい大人なんだからもう少し気の利いたことを主張したい、と思うと必然的に曲も複雑になり、主張を正確に伝えるためにはどうしてもある長さが必要になってしまった。ロックの前身であるポピュラー音楽はいわゆるシングルレコード盤のフォーマットに収まる必要があったが、ロックはすでに普及していたLPレコードを前提とすることができて、曲の長さはまったく問題にならなかった。むしろ耳の肥えた聴き手に訴求しやすくなった。つまりLP一枚分がひとつの作品である、これをひとかたまりとして聴いてくれ、ということである。

そうやってプログレは複雑で抽象的で長い歌詞と、その歌詞をシナリオとして、単純な繰り返しだけではなく展開を伴う構造を持つようになった。ポピュラー音楽より難しいことを主張しようというのであるから、聴き手に緊張感を持ってもらわないと長丁場を維持できない。そのためにプログレはジャズからインプロビゼーションと、クラシックから変拍子を拝借する。

プログレの古典中の古典と僕が思っているキング・クリムゾン「太陽と戦慄パート2」のエレキギターのパートは楽譜に書くとこんなふうになる。
0826aspic.png
Iの部分は最初のツカミにあたるとこでIIはそれがひと段落した部分である。出だしいきなり半音階的なスケールと予測しづらい拍子の交代が連続する。ひと段落した後も5拍子が基本となっている。

たとえばこれをバッハのコラールのように4/4拍子に押し込んでみよう。
0826aspic4.png
楽譜を見るだけではわかりにくいけど、なんとなくのっぺりした感じになって半音階の変な汚い音がかえって気になると僕には思える。

そうやってプログレはどんどん複雑な方向へ行ってしまって、1980年代前半にはジャンルとしては空中分解してしまう。Factor BurzacoIonaのような末裔は個性を売り物にして存続しているけど、もう1970年代のような盛り上がりはない。



僕は1970年代を中学高校大学生としてすごした。しかも音楽少年だったのでプログレにはずっぽりとハマった。中学の頃はさすがに周りに同じような子供がいなかった。ピンク・フロイドの「おせっかい」が欲しくて発売の日クラブを休むと言ったら、「お前、案外不良やな」と言われたことを思い出す。そうやって買った赤い半透明のへんてこなレコードに僕は何度も針を落とした。その裏面全部を使った「エコーズ」は今でも屈指の名曲だと僕は思っている。さらにELP「恐怖の頭脳改革」ああ恥ずかしいタイトル)では、僕は高校生になっていたけど一人で買って一人で聴いていた。

大学に入ると同好の士がたくさんいた。僕はもう嬉しくてしょうがなかったけど、中学高校で味あわされてきた幻滅が怖くてそれを表に出すことは控えた。しかし結局気がつけば友人はそういう人物ばかりになった。大学1年のときにその一人からそれまで知らなかったキング・クリムゾンを教わって完全にハマることになった。

それから40年経って僕があって、かわいそうに僕の娘はそういう音楽を子守唄にして育ってしまった、ということである。どっとはらい。
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たこやきおやじ

素晴らしい知識と論説ですね。1冊本が書けるのではないでしょうか。(^^;
by たこやきおやじ (2018-08-27 10:34) 

decafish

コメントありがとうございます。
たぶん僕と同世代のプログレ好きはみんな変拍子に思い入れがあるのではないでしょうか。

でも本1冊分書くのはかなり大変だと思います。百ページ書こうとすると、浄瑠璃の床本みたいな感じになるのではないでしょうか(「浄瑠璃」「床本」で画像検索してみてください。面白いです)....
by decafish (2018-08-27 17:57) 

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