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見解書が返ってきた [日常のあれやこれや]

例のアイデアにサクッと書いたPCT出願の申請に対する「見解書」が返ってきた。関連すると思われる特許をあげて「似てる」というのを「当事者であれば容易に想到し得る」という定型の文言に今回はめちゃカチンときた。そんな言葉に昔は気にもしなかったんだけど、今回は久しぶりに力の入ったアイデアの特許だったのと、(さっき気がついたんだけど)震災以降で初めての国際出願だった。つまり実に7年ぶり。

特許は請求項が全てである。アイデアの新規性はそこに表現されないといけない。そして特許はその手順に従うことで自動的に所望の機能が得られるなら、原理はわからなくてもいいことになっている。極端にいえば全くの素人でも請求項に記載された通りに実行すればその機能が得られなければいけない。

実際にはそう簡単ではないわけだし、苦労して得た自分のアイデアをそう簡単に素人にマネされても困るので、本当のキモの部分はできればわかりにくくしたい、というのもある。従って請求項をどう表現するか、という戦略がもともとのアイデアとは別に必要になる。

そのせいでアイデアの本質とは別に、自分ではそのアイデアを実現することなく、特許の存在そのものを武器にする特許ゴロみたいなものが現れることになる。昔から僕にはそんなことを許す特許制度そのものが不愉快でならない。

理想的には、本当にそれまで誰も思いつかなかったアイデアで、それによってそれまでなかった機能が実現できるなら、それに対して無条件に敬意が払われるべきである。その敬意をどう表すかは別にして、それは特許とは無関係に、請求項の文言とは無関係に、人間の生き方として、そうあるべきである。

技術が高度化して素人にそれが判断できなくなったときにそれを判断する客観的なシステムが必要となる、ということはわかる。そして特許制度はそのためのシステムとして昔からのしがらみを含めた比較的マシなものである、というのは僕も仕方なく認める。百歩譲って必要悪ぐらいに思っている。

今回返ってきた見解書は本当に単に請求項にある文言に似た記述にある特許を拾ってきて「当事者であれば容易に想到し得る」という指摘ばかりで、技術屋として心に刺さってこない。制度として仕方ないことだとは言え、なんだか悲しくなってしまった。


ということで、見解書に対するコメントをこれから書く。間に入ってる弁理士事務所も僕から見たら単なる代書屋としか思えなくて、いまいちやる気が萎える原因ともなっている。

....ケイロンは遠いなあ....
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