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HDRのリトルインディア [日常のあれやこれや]

平林さんがシンガポールのリトルインディアでとったという、
僕はこれを見てエーリヒ・ブラウワーを思い出した。

写真の中をよく見たら
tanz im fruehling

とか
Rainmaker of Mount Carmel
とか
Last Cockcrow
なんかが含まれているように見える気がする。

平林さん的には「ミス」かもしれないけど、これはこれで美しいかも。

夜中に脱水でひどい目にあった [日常のあれやこれや]

今週ずっと工場のあるあづみ野に行っていた。夏のシーズンはホテルが取れないので会社借り上げのアパートで寝泊まりしている。今週も火水木と3泊した。

昨夜も2DKのアパートの和室に布団を敷いて寝ていたら、夜中の1時過ぎに頭が割れそうな痛みで目がさめた。気がつくと全身汗ぐっしょりだった。寝ている間に脱水していたらしい。

あづみ野は夏でも夜は涼しいということでアパートにエアコンはなかった。ところが昨日は一日中快晴で夜も室温が下がらなかった。部屋の中でいわゆる熱中症になったようである。目がさめてから水を飲んで外の空気を部屋に入れるようにしたけど、一晩中汗が止まらず悶々として夜明けを迎えた。4時ごろには外の空気はずいぶん涼しくなってたのに体感的には室温はほとんど下がらず、窓の網戸に向かってぼーっと立っていた。

朝8時になって工場に向かった。その頃には汗は止まったけど、頭痛はまったくよくならなった。朝イチでやることになっていた打ち合わせを済ませたあとは早引けして横浜に帰ってきた。今もまだ頭は痛い。

問題の一つ目は僕も歳を食って体の反応が悪くなっているということである。そして酒を飲んで寝るという脱水を招きやすい習慣を持っている。しかしこればっかりはしょうがない(何がしょうがないんだ、という指摘もありましょうが)。そしてもう一つはそのアパートの構造。北向きの玄関側に窓がなく南側の窓を開けても風が通らない。そのせいで部屋にこもった熱がいつまでも抜けていかない。

そして最後の一つは居住環境を管理する主体がどこにもなかったこと。ホテルなら厳重に管理されているし、ずっと住んでいるなら自分で制御しようと思うだろう。ところが横浜から技術のメンバがたまにただ寝泊まりするために行くだけで、それ以外は無人なので問題があってもフィードバックがきかない。その改善のためには常駐の管理人を置くことだろうけど、中小企業でそんな贅沢ができる余裕はない。

今朝、工場に来た社長に僕はガンガンする頭で「もうアパートでは寝ない。次からはホテルを取る。ホテルが取れなかったらあづみ野には来ない」と宣言した。社長は困惑しながら了承したが、いかにも理解できない、納得いかないという顔だった。なんか僕がすごいわがままを言ってるという印象を持っただろうけど、会社のために良くないと考えればクビにすればいい。僕も歳で体の方が大切なので中途半端に譲歩するつもりはない。

熱帯夜に年寄りが熱中症で救急搬送されたり死んだりしてるけど、僕もちょっと間違えばその仲間入りをすることになったんだ、ということが実感としてわかった。僕も昨夜目がさめなかったり熱失神でもしてれば朝まで誰にも気づかれずにいて、そのときには命にかかわっていたかもしれない。

しかし、夜明け前の冷たいと感じる外の空気を肌に受けても汗が止まらないのは初めての体験だった。ガンガンする頭の隅っこでその変な感覚を味わうことができたらよかったのに、とちょっとだけ思ったけど、そのときはそれどころではなかった。

しかしなにが気に入らないと言って傍若無人な登山客観光客である。今日も帰りの松本までのローカル線で学生と思われる女の子7人連れと一緒だった。僕にはそもそも彼女らの会話が叫び声に聞こえるし、叫んでいないときは床に座り込んだ状態でコンパクトを出して口紅やマスカラを塗り直して、それが終わればスマホで自撮りして、と松本までの30分余りを過ごしていた。彼女らにとっては風光明媚な風景や電車に乗り合わせた乗客は自分たちの背景なんだろう。

こういう観光客はホテルの部屋を満室にするだけでなくただでさえ本数の少ない特急の指定席を占拠する、巨大なリュックを車両の通路に寝かして通れなくしたあげく、車両全体に響き渡る声で騒ぐ。こっちは仕事なんだぞ、こら。

まあ、それは八つ当たりだ、ということは重々承知だけど、ほんとになんとかならんかな。いや、そもそもこんな観光地に工場なんか建てるなよ、ちゅうことだよな、まったく。

Eテレ「認知症新時代」を見た [日常のあれやこれや]

今週は工場に出張。宿にしている会社借り上げのアパート(ホテルに比べて必ずしも安上がりではないと主張してるんだけど定量的な評価はされず現状維持状態のまま)はネットが来ていないので、そこでは普段見ないテレビぐらいしか下界との接点はない。昨夜部屋に戻るとEテレで「認知症新時代」という番組をやってて、冒頭以外最後まで見た。

僕も、自分ではまだ認知症と診断されるほどではないとは思うけど、歳のせいでいろんなところで認知機能の劣化の自覚がある。女房に言わせると歳のせいというのは言い訳で、ずっと前からだということになるが、もしそうなら歳のせいでさらに劣化が進んでいるということになる。

認知症に限らず人間のあらゆる病気はすべて程度の問題だと僕は思っているので、健常者が或る日突然認知症になって「ああ今、俺は認知症になった」と感じるわけではない。そうではなくて後から考えたらどこかで一線を超えていた、と周りが認識する、あるいは診断がくだることで人は認知症になるので、当事者本人が自覚することは難しい。いや、言い訳してるわけではないけど、いやまあ、ちょっとしてるけど、ちょうど事象の地平線を超える人がどこで超えたのか自覚はないのに、外から見る人からは地平線を超えた以降の様子はまったくわからなくなるのと似ていると言う気がする。

この番組の中で印象深かったのは認知症をカミングアウトして、認知症を患った本人の権利を主張しているクリスティーン・ブライデン某と言う人。この人は40歳半ばで認知症と診断されたらしいけど、もともと学者でいかにも強靭な思考の訓練を十分に積んで来た人だということがわかる。論理的な思考は認知症には妨げられない、という実例だと思うと僕にとっては心強いし、励まされる。進化論的に比較的新しい脳の部分は認知症の影響を受けない、ということなんだろうか。原因によるかもしれないけど。

しかしもちろん論理的な思考力によって認知症が克服できるわけではないし、失った機能を代替することはできない。しかし論理的思考は普遍性があってそれが健常者との接点になり得る。それによって当事者の状況を健常者に具体的に伝えることができる。ようするに痛い痒いこそばゆいは本人にしかわからないけど、極端な話たとえば数学なら他の誰にでも(少なくとも原理的には)理解できる。これは大きな希望である。

ところが残念ながら件の彼女のように強力な論理的思考の習慣は不断の訓練によってしか身に付けることができないし、全ての人がその訓練を経てくるわけではない。その意味で彼女は特殊な例だと言えるかもしれない。逆に強い思考力を身につけなかった人は健常者との接点の一つを初めから失ってしまうと言うことでもある。たとえば「オバマ憎くけりゃ袈裟まで憎い」と言った非論理的な言動をする人が認知症になってしまうと、彼は健常者から理解を得る手がかりを一つなくすことになる。

記憶力や判断力といった色々な認知機能は進化の過程で生物が獲得してきた能力である。さらに論理的思考力は進化の末に人間だけが手にした特殊能力だということができる。生物は得た能力を最大限に利用して生き延びようとする存在であって、人間は偉そうにしてるけど他の地球上の生物と変わりない進化の産物だから、個体としても手にした能力を最大限に利用することが生物として正しい生き方である。

ということで僕も今のうちに訓練を積んで来たるべき将来に備えようと思う。もう遅いかもしれないけど。

「ジョン・ポール・ジョーンズ」 [日常のあれやこれや]

ニュースをみてるとアメリカ海軍のミサイル迎撃実験に失敗というのがあった。件のイージス艦はジョン・ポール・ジョーンズという名のミサイル駆逐艦だという。米海軍にレッド・ツェッペリン好きがいて、それでついた名前なのか、と一瞬目を疑った。

ツェッペリンにはジョン・ポール・ジョーンズというベーシストがいて、テクニシャンではないけどキーボードなんかも持ち替える個性派で、僕らの世代のロックバンドのメンバには大きな影響を残している。ツェッペリンの曲に時々ある「あえて頑としてコード進行しない」というのはジミー・ペイジよりもこのジョンジーの個性ではないかと僕は思っている。

戦艦駆逐艦が勲章をいっぱいもらった偉い人の名前をもらうというのは、双方にメリットがあっていいことなんだろうけど、どうも偉そうでやっぱりつまらない。「駆逐艦スイートプリキュア」「護衛艦ポワトリン」「空母セーラーマーズ」「巡洋艦シュシュトリアン」とかどうだろうか。めっちゃ古いか。でも敵によっては
「ってーっ!」
「....」
「どうした!?」
「私には撃てません」
「何故だ?」
「シュシュトリアンを攻撃するなんて...月子萌えの、私にはできません....」
ピンポイント防御。

今なら艦これがあるではないか、と言われそうだな。そりゃそうだ。

「ウラムの螺旋」を描く [日常のあれやこれや]

ここんとこ新しい光学素子の設計の最適化や組み立て設備のシーケンサがわりのRaspberry Piやなんかのソフトウェアを書く仕事をいくつか抱えている。どうしても大きなものになりがちで、一人てやってると煮詰まってしまいやすい。とくにここ数年歳のせいかスループットが落ちてるような気がする。

そんなことでついつい、ちょこちょこっとした全然関係ないものを気晴らしに書いてしまって、そっちが面白くなってしまうことがある。もっと真面目にやらないといけないと思うんだけど、集中力が落ちてしまってどうしようもない。買えるものなら集中力や思考力を買いたいものである。それが手に入るなら金に糸目はつけないんだけど。

それはまあいいとして(よくないけど)、そんな気晴らしの中でこないだのAnglePathを使えばすぐ描けると思って、「ウラムの螺旋」を描くMathematicaのコードを書いた。実は、ちょっと風邪をひいてしまって昨日今日と会社をお休みしてた。その間、退屈だったのでついつい遊んでしまっていた。

今回のMathematicaコードはRaspberry Piのバージョンでも動くのでRaspberry Pi3なんかを持っている人は試してみてほしい。しかし「ウラムの螺旋」って不思議だなあ....

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迷惑メール [日常のあれやこれや]

今日会社で、溜まった迷惑メールを消そうとしたら、こんなのがでてきた。
0614spam.jpg
もちろん僕が設定したわけではない。面白いのでスクリーンショットじゃなくて、わざわざカメラで撮ってしまった。
なかなか潔くてよろしい。

Appleのドキュメント [日常のあれやこれや]

いつからかは知らなかったんだけどAppleの開発用ドキュメントからObjective-CのReferenceがなくなってSwiftだけになっていた(Xcodeからは古いAPI Referenceで両方が表示される)。そうかあ、やっぱりAppleだなあ。最近Raspberry Pi向けのほとんどC(ちょっとだけC++とJavascript。やっぱりC++は僕には難しい)か、Mathematicaばっかり書いてたので全然知らなかった。

macOSでもCoreMLみたいな新しいAPIはObjective-Cのドキュメントは用意されないだろうとは思ってたけど、こんなに早いとはね。しばらくはドキュメントがなくてもObjective-Cから呼べるだろうけど、公式のヘッダはないだろうし当然もうこのあとは放置プレイだろうから乗り換えを考えないといけない。

でも、思えばObjective-Cに慣れるまでずいぶんかかったんだよなあ(そういえばBOOLのYES、NOがいつまでも気持ち悪かったのを思い出した)。やっとObjetive-Cらしい言い回しができるようになったと思ってたらこれだもんなあ。

Objective-CとSwiftでは、例えばC++との違いに比べれば違うとは言えないくらいだし、APIの切り口は同じでランタイムも同じものを呼ぶので字面の違いだけだ、と言ってもいいくらいだし、確かにObjective-C3.0とか言い出すくらいならSwiftのほうがスッキリすることは間違いない。なんだけどやっぱり「慣れ」というものがあって、的確な表現ができるようにならないと書くのにも時間がかかるし、なんといってもあとから読みづらい。ほんの少し時間が開くだけで、自分が書いたとは思えなくなってしまうので「読みやすさ」は僕にとってはすごく大切なんだよなあ。

しかたないなあ、ちょっとずつ勉強し始めるか。なんか書くネタがないとダメだけど、最近macOS専用のって書く仕事がなくなってるしなあ。他にすることはいっぱいあるしなあ。

「音楽と文学は違う」 [日常のあれやこれや]

ディランがノーベル賞の受賞講演をやったことになった。僕は以前違和感を表明したけど、似たような印象をディラン自身も持ったようである。ディランの言いたいことは「音楽は音楽として評価すべし」だと思うし、はっきりとは言っていないけどノーベル財団という評価する側の「おごり」へのディランらしい抵抗だと思うと僕にも納得はいく。

でも、ディランほどのすでに多くの評価を勝ち得ている人であっても800万クローナが欲しかったのかと思うと、なんか、なんだかなあ、と思ってしまう。そのせいでディランらしい舌鋒が鈍ったんだとするとすごくがっかりである。

僕だったら「ノーベル賞なんぼのもんじゃい」と言いたい。安部公房にもレムにもヴォネガットにもやらずに死なせてしまったことにも僕は気に入らない。くたばれ、ノーベル文学賞。

よし、これから僕はこう言うことにする。
「くたばれ、ノーベル文学賞」
「くたばれ、ノーベル文学賞」
「きぐしねくてやんだおら」

AnglePathとAnglePath3D [日常のあれやこれや]

またMathematicaで遊ぶネタ。会社のお金でMathematicaのライセンスを手に入れたけど、最新版でないといけないということはぜんぜんしてなくて、せいぜい6.0のころの機能しか使ってない。今や知らない関数や機能の方が何倍も多くなってしまった。

僕はどうも根が貧乏性なもんで、なんとなくもったいないような気がして、ときどき思い出しては新しい機能を勉強しようとしてるんだけど、使いこなすところまでなかなかたどり着けない。で、今日たまたま見つけたMathematica6.0にはなかった関数AnglePathとAnglePath3Dが結構面白かったのでちょっと書いておく....

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「銅のスプーン」の記事 [日常のあれやこれや]

ちょっと前の記事だけど「デイリーポータルZ」のべつやくれいさんの「銅のスプーンでスジャータアイスに挑む」が面白かった。

僕は甘いものが苦手で、カップアイスなんて自分で進んで食べたことなんて三十年以上前、他人から勧められてしかたなく年に1回食べるかどうか、たまに女房が買ってくるハーゲンダッツの一番小さなカップが冷凍庫の中で何週間もなくならない、というようなものなので、記事にある新幹線の車内販売のスジャータアイスなるものがどのくらい硬いのか知らない。僕が新横浜を出てすぐ買ったとしても新神戸では1/4も減ってなくて、残りは全部溶けてどろどろねちゃねちゃのゾンビ映画にでてくるようなものになるだろう。

話を戻して、もしスプーンが銅とステンレスでできていたなら、熱伝導率は銅が0.037W/m℃で、ステンレスがSUS304だったら0.0016W/m℃なので実に20倍以上の違いがある。スプーンの持ち手の断面積はたいして大きくないだろうからどのくらい違いが出るのかわからないと思っていたけど、面白いコマがあった。
spoon_15
べつやくれいさんの使っているサーモグラフィカメラは、輪郭を撮るカメラと低分解能の赤外線カメラの像を重ね焼きするタイプのものらしい。光軸があっていなくて輪郭に対して赤外線像が下にずれている。画像からは右の普通のスプーンの温度が室温に近くて、左の銅のスプーンはほぼアイスの温度になっている、つまり銅のスプーンはアイスの温度を奪っている、とみるべきで、実はなにも困ることはなかった、ということである。

この直後に両手をカメラで見れば、スプーンを握っていた部分の左手は温度が低く、右手はなんともない、ということがわかったはずである。指表面の熱伝導率が十分高くて、しかも体温が50℃より高ければべつやくれいさんの思った通りの画像がとれたかもしれない。

そもそも新幹線のなかにサーモグラフィカメラを持ち込んで温度をはかること自身「やられた」という感じである。僕だったら炎天下の公園の砂場で蟻を焼き殺している子供から虫眼鏡を奪い取って、そのレンズの収差を干渉測定しないといけない。あるいはコンサートなんかでのレーザによる演出の現場に分光器をもちこんで「この緑は1064nmの2次高調波ですね」なんて言わないといけない。

「デイリーポータルZ」の記事では林雄司氏とならんでべつやくれいさんは僕のお気に入り。お二人はご夫婦なんだよな。サーモカメラも実はご亭主の提案なのかな。
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