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火星の北極の地形 [日常のあれやこれや]

14年3月のタイムスタンプなのでかなり旧聞になるけど、こんなのを知った。
1017mars.jpg
MROが火星の北極を撮影したもので、20m幅で高さ1mほどの二酸化炭素と水の個体の小山が何百キロも連続しているらしい(しかしHiRISEカメラの解像度すごいな。ここに人が立ってたらわかるってことじゃん。寝転がってたら体型までわかる。反射型の勝利なのか)。

これってスペックル模様じゃん、と思った...

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macOS10.13でNSSavePanelが作れない [日常のあれやこれや]

先週自分のMacBook Pro、iMacとそれから本社にあるデモや調整用の設備に使っているMac mini数台を一斉に10.13に上げた。MBPはファイルシステムがAPFSに変わっていた。HDDやハイブリッドHDDはHFS+のままになってる。中身が入ったままファイルシステムを変更するなんてどうやるんだろう。HFS+とAPFSはi-nodeの構造が違うだけで、もとのHFS+の中身は保ったままi-nodeだけを書き換えるんだろうか。MBPのSSDは128GBで残り10GBぐらいでずっとやりくりしてるので、そんなやりかたでないと無理だよな。

まあそれはいいとして、10.13に落とし穴が待っていた。
    NSSavePanel *savePanel = [NSSavePanel savePanel];
ただこれだけで、クラッシュする。最終的に__NSDictionaryMという内部クラスのオブジェクトにnilが代入されることで例外が発生していた。こんなのごく普通に使ってきたので、まさかこれだけでダメになるなんて思ってもなかった。たしかに10.12でも特定の設備用アプリでsave panelを作るたびにlogに変なゴミが溜まっていくな、とは思っていた(関係ない文字列でキー値コーディングを呼んだ、というんだけど僕の知らない文字列ばかり)。けどそれでも動いていたのでそのうちによく見よう、と思いながらほったらかしになっていた...

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カズオ・イシグロの文学賞 [日常のあれやこれや]

今年のノーベル文学賞はカズオ・イシグロだとニュースで知った。彼は僕と同世代で、SFと分類される作品もあるのでいくつか読んだことはある。SFというよりはかなり濃いめ恐ろしめのファンタジーという印象で、でももう読んだのは昔のことなので中身は全然覚えていない。

まあ、とはいうものの去年のボブ・ディランに比べれば随分まっとうに思える。さすがにノーベル文学賞に揺り戻しがあった、という感じがする。その意味でずっとよかった、と僕は思う。あまりに恣意的な選出はもうやめるべきだろう、というかもうたくさんである。そして、カズオ・イシグロにやれるなら安部公房やスタニスワフ・レムが生きてるうちにやれたのではないか、とも思う。何度も書くけど。ほんとに何度も書くけど。

でもニュースでの、まるで日本人が賞を受けたかような扱いに違和感を覚える。南部さんがノーベル物理学賞を受けたときのニュースの扱いに感じたような違和感である。ことさらに日本人あるいは日本をルーツに持つことを強調しなくても、その人それ自身として評価できないものか、と思う。

僕はカズオ・イシグロ作品の全部を読んだわけではないけど、僕以上に彼の作品を読んでない人が、だから日本人はエラい、と言うようなニュアンスの発言をするのは、なんだかなあ、と思ってしまう。
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日曜美術館「ゴッホ」 [日常のあれやこれや]

日曜美術館「熱烈!傑作ダンギ ゴッホ」を見た。面白かった。

子供のころはゴッホは嫌いな画家だった。もちろん本物を見たことはなかったんだけど、ただただ暑苦しく押し付けがましく、否定されることを否定するような絵だと思っていた。高校に入ったころゴーガンとゴタゴタのあげくの耳切り事件の話を知って、そら見たことかそういうやつなんだ、こういうやつとは付き合えない、と思った。

子供の頃の僕にはゴッホの絵は過激すぎたんだろうと思うけど、大人になっても好きな画家にはならなかった。普通に見ればほとんど狂人で周りの他人に迷惑を振りまくのに、一旦絵を描きだすと冷静な客観性と深い分析力、緻密な構築力を存分に発揮する。でもやっぱり僕は、例えば夜空と糸杉の絵は、それがどんなに凄くても完全に病気だ、と思っていた。

でも僕も歳を喰うにしたがって、まあありかな、ぐらいに思えるようになった。子供の頃感じた恐ろしさは和らいだ。逆に退屈な画家の絵を見るとゴッホを見習わんかい、と思うぐらいになった。でも決して今でも好きな画家というわけではない。「ゴッホが好き」という人はよくいるけど僕にはそれが「ラッセンが好き」と言ってるのと同じに聴こえる。いや、ネタじゃなくて。

今日はゲストが良かった。しりあがり寿と松嶋尚美が好きかってなことを言って、それに対して阪大の先生が豊富な知識をもとに的確な注釈をするという三題噺的なやりとりが面白かった。

今回初めて知ったんだけど、ゴッホは速筆家だったらしい。多い時は2日で1枚の絵を描いていたことになる。僕は貧乏性なので筆跡が強く残る分厚い絵の具を見るだけで、絵の具代にいったいいくらかかったのかと心配になってしまう。

面白い話がいくつかあったんだけど、結局やっぱりゴッホは僕には好きな画家とは言えないな。ラッセンは好き嫌い以前にかなわんけど。
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日曜美術館「アンドリュー・ワイエス」 [日常のあれやこれや]

今夜の日曜美術館の再放送「ワイエスの描きたかったアメリカ」を見た。僕はアメリカの画家は音楽におけるシューマンみたいに使われている言語がよくわからないせいで、なかなか理解できない(それは単に僕がそのボキャブラリを持ってないからに過ぎないんだけど)。ワイエスも本物は見たことはないんだけど画集なんかで見てやっぱりよくわからない、と思っていた。

一番有名な「クリスティーナの世界」も、つれない愛人に追いすがる不倫の人妻の絵だと(若い頃見たせいもあるかも)ずっと思っていた。すがるような女の上体、愛人を捕まえようとして草を掴んでしまっている左手指、丘の上の家にはその愛人がいるのだ、とばかり思っていた。描かれている女性の足が不自由だったということはこの番組で教えてもらった。

僕の見る目がなかったと恥じるんだけど、それはいつものことなのでそういう恥ずかしさには慣れっこになっている。でもワイエスの絵ってやっぱりどこか言葉を過剰に要求しているように思える。僕は絵は絵だけで存在すべき(それは音楽は音楽だけで存在すべきだと考えている延長だけど)だと思っている。もちろんワイエスも言葉を補って欲しいとは考えてなかったのは明らかだけど、彼の絵は絵から言葉が溢れ出てしまっているように思える。キーワードをひとつ与えるとそれをきっかけに自らを説明しようとする饒舌さがあるような気がする。「クリスティーナの世界」も描かれた女性の足の話を一言聞いたとたんに、僕は絵のそれぞれの部分が、不倫の人妻ではなく不自由を受け入れて日々の生活をする気丈な女を表しているように一気に入れ替わってしまった。

それはわかりやすさでもあるし、説得力でもある。でも逆に危険でもある。番組では言及はなかったけど、例えば最近のアメリカの移民排斥、白人至上主義に対する反論として彼の絵が取り上げられてしまう可能性がある。人間の内面を掘り起こそうと思って描いた絵が、下手をすればわかりやすい象徴として利用されて消費されてしまいかねない。それは絵の主題からは間違っていないとしても、絵にとってその作者にとってそれは不幸である。とくにワイエスの絵にとってはなおさらである。

ところで僕はワイエスが晩年に描いたという「スノーポール」にショスタコーヴィチの交響曲15番を連想してしまった。過剰な言葉と、言葉を超えた何かがあるような気がして。
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TimeMachineのstretch化 [日常のあれやこれや]

ああ、こういう計算好きだなあ。目的と手段のギャップが大きいことはよくあって、高邁深淵な目的と卑近な手段というのが普通だけど(別に政治家を皮肉っているわけではない)、この話では向きが逆転してる。馬鹿馬鹿しい? いや僕もこうありたい。

ここではその話ではなくて、Raspberry Piのstretchへのアップグレードが拍子抜けするほど問題なかったので、うちでTimeMachineとして使ってるdebianをインストールしたLivaもstretchにあげようとしたら、こんどはハマった...

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英語が喋れない [日常のあれやこれや]

今日仕事で米国から来た技術者と話をした。レーザのノイズ制御が専門のPh.D.で近い分野の技術者同士ということで彼は僕に対して非常にフレンドリーに接してくれて突っ込んだ話をしてくれたんだけど、僕からはほとんどまともなやりとりができなかった。彼のしゃべる英語は7割がたはわかるんだけど、僕のほうは言いたいことが頭の中で文章にならず、断片的な単語の羅列になってしまった。それこそ完全に「ミー、ターザン、ユー、ジェーン」になってた。

つい先日、日本語が聞き取れない話を書いたけど、英語はしゃべる方が難しくなっているような気がした。ずっと昔仕事でシンガポールを往復してたころ、これほど不便だったことはなかったように思う。

でもまあ、シンガポール人の英語はめちゃブロークンで、当時は自分たちの英語のことを自嘲的に「Singlish」と呼んでいた。当時の僕の英語も似たようなものだったのかもしれない。シンガポール人独特のジョークは理解できないことが多かった(みんながどっと笑ったけど僕だけわからなくてキョロキョロしてるのに誰も「He's jokin', jokin'」としか言ってくれない)けど、それ以外で不自由だったという印象はなかった。

そのあと十数年ほど前、仙台に行くことになってある共同開発テーマを急いでひと段落させる必要ができて、米国東海岸の光学測定機メーカに年に2〜3回ぐらいのペースで行ってた時も、そんなに不自由は感じなかった(9.11の影響で面倒なことは何度もあったけど)。しかしそれも、訪問先の技術屋たちがずいぶん気を遣ってくれているという感じがずっとしていたので、実は僕の英語力とは無関係にその気遣いのお陰だったのかもしれない。

今の会社のお客さんはほとんどが米国とヨーロッパなので英語が不自由だと困ったことになる。かといっていまらさこの歳で訓練しても上達はしないよなあ。日本語でさえどんどん怪しくなるもんなあ。できてる人に訊いても、どうせ

「訓練を続けてれば劣化しないよ」

とか言われるんだろうなあ。それって僕の書いたソフトがトラブったときに

「僕のMacでは動いてるよ」

って弁解するのと同じだと思うんだけどなあ。

ああ、ちょっと違うか。
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歳のせいか [日常のあれやこれや]

耳から入る日本語を解釈する能力がどんどん劣化している。ようするに聞いただけでは何を言っているのかわからないことが多い。多くのジジイがよく発するダジャレは、聞いた言葉を解釈し間違った結果ではないか、と思うようになってきた。

解釈し間違うぐらいならまだいい。何言ってるのかまったくわからない、ということがある。例えばアニメ「グルグル」のエンディングなんか、そもそもまるで高座での春団治のような、ぼそぼそぼそぼそ言うようなボーカルのせいもあって、最初から最後までまったくわからない。まだ「あずまんが」アニメの方がマシだった。ほんとに何を言ってるんだ、あれは?
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HDRのリトルインディア [日常のあれやこれや]

平林さんがシンガポールのリトルインディアでとったという、
僕はこれを見てエーリヒ・ブラウワーを思い出した。

写真の中をよく見たら
tanz im fruehling

とか
Rainmaker of Mount Carmel
とか
Last Cockcrow
なんかが含まれているように見える気がする。

平林さん的には「ミス」かもしれないけど、これはこれで美しいかも。

夜中に脱水でひどい目にあった [日常のあれやこれや]

今週ずっと工場のあるあづみ野に行っていた。夏のシーズンはホテルが取れないので会社借り上げのアパートで寝泊まりしている。今週も火水木と3泊した。

昨夜も2DKのアパートの和室に布団を敷いて寝ていたら、夜中の1時過ぎに頭が割れそうな痛みで目がさめた。気がつくと全身汗ぐっしょりだった。寝ている間に脱水していたらしい。

あづみ野は夏でも夜は涼しいということでアパートにエアコンはなかった。ところが昨日は一日中快晴で夜も室温が下がらなかった。部屋の中でいわゆる熱中症になったようである。目がさめてから水を飲んで外の空気を部屋に入れるようにしたけど、一晩中汗が止まらず悶々として夜明けを迎えた。4時ごろには外の空気はずいぶん涼しくなってたのに体感的には室温はほとんど下がらず、窓の網戸に向かってぼーっと立っていた。

朝8時になって工場に向かった。その頃には汗は止まったけど、頭痛はまったくよくならなった。朝イチでやることになっていた打ち合わせを済ませたあとは早引けして横浜に帰ってきた。今もまだ頭は痛い。

問題の一つ目は僕も歳を食って体の反応が悪くなっているということである。そして酒を飲んで寝るという脱水を招きやすい習慣を持っている。しかしこればっかりはしょうがない(何がしょうがないんだ、という指摘もありましょうが)。そしてもう一つはそのアパートの構造。北向きの玄関側に窓がなく南側の窓を開けても風が通らない。そのせいで部屋にこもった熱がいつまでも抜けていかない。

そして最後の一つは居住環境を管理する主体がどこにもなかったこと。ホテルなら厳重に管理されているし、ずっと住んでいるなら自分で制御しようと思うだろう。ところが横浜から技術のメンバがたまにただ寝泊まりするために行くだけで、それ以外は無人なので問題があってもフィードバックがきかない。その改善のためには常駐の管理人を置くことだろうけど、中小企業でそんな贅沢ができる余裕はない。

今朝、工場に来た社長に僕はガンガンする頭で「もうアパートでは寝ない。次からはホテルを取る。ホテルが取れなかったらあづみ野には来ない」と宣言した。社長は困惑しながら了承したが、いかにも理解できない、納得いかないという顔だった。なんか僕がすごいわがままを言ってるという印象を持っただろうけど、会社のために良くないと考えればクビにすればいい。僕も歳で体の方が大切なので中途半端に譲歩するつもりはない。

熱帯夜に年寄りが熱中症で救急搬送されたり死んだりしてるけど、僕もちょっと間違えばその仲間入りをすることになったんだ、ということが実感としてわかった。僕も昨夜目がさめなかったり熱失神でもしてれば朝まで誰にも気づかれずにいて、そのときには命にかかわっていたかもしれない。

しかし、夜明け前の冷たいと感じる外の空気を肌に受けても汗が止まらないのは初めての体験だった。ガンガンする頭の隅っこでその変な感覚を味わうことができたらよかったのに、とちょっとだけ思ったけど、そのときはそれどころではなかった。

しかしなにが気に入らないと言って傍若無人な登山客観光客である。今日も帰りの松本までのローカル線で学生と思われる女の子7人連れと一緒だった。僕にはそもそも彼女らの会話が叫び声に聞こえるし、叫んでいないときは床に座り込んだ状態でコンパクトを出して口紅やマスカラを塗り直して、それが終わればスマホで自撮りして、と松本までの30分余りを過ごしていた。彼女らにとっては風光明媚な風景や電車に乗り合わせた乗客は自分たちの背景なんだろう。

こういう観光客はホテルの部屋を満室にするだけでなくただでさえ本数の少ない特急の指定席を占拠する、巨大なリュックを車両の通路に寝かして通れなくしたあげく、車両全体に響き渡る声で騒ぐ。こっちは仕事なんだぞ、こら。

まあ、それは八つ当たりだ、ということは重々承知だけど、ほんとになんとかならんかな。いや、そもそもこんな観光地に工場なんか建てるなよ、ちゅうことだよな、まったく。
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