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「バーフバリ」と「浄瑠璃」 [日常のあれやこれや]

連休中に帰ってきてた娘が、映画館で見て面白かったというインド映画「バーフバリ」を勧めるので、その第1部の「バーフバリ 伝説誕生」をAmazonのレンタルで見た。これが若者の間で熱狂的にウケているらしい。「バーフバリ」が実によくできていることに異存はないし、僕自身も十分楽しんだので若者たちの熱狂は理解できる(まるで講釈の続き読みみたいな「切場」で終わるのは許せんけど)。それは別にして、僕はこれを見て少なくとも前半は「これは浄瑠璃ではないか」と思ってしまった....

「貴種流離譚」の類型は世界中にあるらしいので、その点はおいといたとしても、全体として
  • 単なる勧善懲悪ではない複雑な物語の構造
  • ストーリテリングの技術や手法
  • そういった高度なものを持ちながら、結局「情」に訴える内容
の点については、よく似た特徴だと思った。その上で
  • 極端に過剰な演出
  • 随所にばらまかれた象徴性
  • 語り(ストーリテリング)と歌(音楽を伴う感情表現)の自由な移行
  • 引き伸ばされた一瞬と省略の多い急な展開の、物理的時間経過を無視した共存
  • なにもかもが大げさだけど、それを不自然に思う感覚を麻痺させる様式化
といったディテールの特徴はおそらく浄瑠璃に詳しい人なら「バーフバリ」のそれぞれの部分に対応する浄瑠璃の同相(数学のボキャブラリやな、これは)ネタの部分を上げることができるだろう。僕が知らないだけで案外似たようなものが全世界に見られるのかもしれない。

しかし最近の若者は、若者に限らずほとんどの日本人は浄瑠璃を知らない。浄瑠璃はIA類の絶滅危惧種(Critically Endangered)といっていい(連休中に竹本住太夫の訃報があったけど若い人は完全スルーだったんじゃないだろうか)。僕から見たらその原因は、演者が「芸を極める」ことだけに集中して、「受け手側の視点」を失ったからだと思える。例えば歌舞伎は独特のスターシステムと細部の近代化によって命脈を保っているが、浄瑠璃との一番の違いは(松竹という企業論理に従っているという面もあるけど)「受け手側の視点」、つまりどうすれば面白いと思ってもらえるか、を忘れなかったからだという気がする。

浄瑠璃は「当流」に限っても三百年以上の歴史があって、その後明治から大正にかけて大流行し、特に関西では素人の浄瑠璃語りが溢れかえっていたという。僕にも子供のころに親戚の集まりでおっちゃんおばちゃんたちが義太夫常磐津を唸ってるの聞いた記憶がある。その後急速に日本人は浄瑠璃を忘れていった。なんだかエラそうに言ってる僕も、浄瑠璃といえばおっちゃんおばちゃんたちとそのお手本の太夫さんたちが「おがおがおがおが」と唸るもの、ぐらいにしか知らない。

一方で日本映画やテレビドラマ、あるいは漫画やアニメに浄瑠璃からの隠然たる影響があって、日本人たちは無意識のうちにリテラシが訓練されている。というか、日本人の持っている「様式化された物語」に対するリテラシの高さは浄瑠璃がそのベースの一部になっているようにも思える。

ただし、太棹一本を伴奏に太夫が汗と唾を飛ばしながら語るだけ、あるいは辛気臭い人形の動きだけでは若者にはついていけない。映像と音楽と音響による視覚聴覚への刺激を増す必要がある。さらに現代の若者が嫁いじめの理不尽さに涙したり、主君の仇討ちへの奮起に共感したり、ということは考えられないので、演目の現代化も必須である。しかし現代でも筋の通らないことを甘受しなければならない場面はあるし、それを解決できたときの喜びは昔も今も同じだろうから、浄瑠璃の本質は通用するはずである。人の「情」は50年や100年で変わるわけはなく、「バーフバリ」に熱狂する若者たちには浄瑠璃が十分に受け入れられるのではないかと思える。

いちばんの問題は内容よりも「バーフバリ」の後半のような、というかハリウッドのようないわゆる「スペクタクル」と「アクション」であって、浄瑠璃には完全に欠落している要素である。日本の若い人たちはハリウッドに慣らされている。しかし、インド映画にももともとはなかった。彼らにとってもいわば輸入品であろう。日本はといえば、アニメや漫画による高度化した「アクション」があるので現代化浄瑠璃への逆輸入を考えれば、むしろインド映画より有利ではないかとも思える。

そうやって地道に換骨奪胎できれば、浄瑠璃にはインド映画にはないディテールのリアリズムや一貫した辻褄を求める論理性があり、さらに不条理な状況や理不尽な境遇が盛り込まれていて、さらにそれらが浄瑠璃では高度に練り上げられている。そして日本人は宗教的なタブーに対する感受性は低く、一方で様式化された表現に対する寛容さがあるように僕には思えるので、そのような現代化浄瑠璃を日本の若者が熱狂的に支持する、という場面があってもいいのではないか、と思う。

そうなれば日本アニメのように輸出もあり得るだろう。アメリカやヨーロッパでインド映画と浄瑠璃映画が覇を競い合う、という状況を見てみたい。



ところで、こういうことを書くと「〇〇は日本の方が歴史的に先」「〇〇は日本の方が上」「ニッポンエライ」みたいな言説に思われることがあるので付け足しておくと、僕自身は浄瑠璃が滅んでも屁とも思わないし、若者たちが何に熱狂しようがみんなそれぞれ好きにすればいいと思う。余計なことをとわかってあえて言えば、三百年以上も積み重ねてきたものをほんの一世代でであっさりと忘れてしまうということには「アホちゃうか」と思うし、他所の物をありがたがる若者を見た大人たちが何もせずにぼーっとしてるというのも「アホちゃうか」と思っただけである。

まあ、その「アホ」の先頭の一陣に僕がいるわけだけど。
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by お名前(必須) (2018-05-10 22:31) 

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