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「箱男」読了 [読書]

安部公房著、新潮文庫。
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先週E-Beans6階のジュンク堂で見つけたので懐かしくてつい買ってしまった。ここのお店では新潮文庫の安部公房はほぼそろってるのに「箱男」はずいぶん長いこと欠品していた。ちなみに大江健三郎の「同時代ゲーム」も長いこと欠品だったけど「箱男」といっしょに戻っていた。

安部公房は僕の好きな作家だけど、最初期の「壁」を別にすれば、とくに「箱男」「密会」「方舟さくら丸」はお気に入り。さらにその中でも「箱男」は一番好きだった。書かれてからもう40年近くになって古くさい部分もあるけど、やっぱり面白い。

底を切り取ったおおよそ1×1×1.3mの段ボール箱をすっぽりかぶって生活する「箱男」が「自分の記録」としてノートにメモする、という言葉で始まる。箱男は今で言うホームレスだが、箱をかぶることで匿名性は増し、社会とのかかわり方が違ってくる。箱男の場合、現在のホームレスが使う青いビニールシートなんかとは違って、箱男の段ボール箱は住居がわりではなく衣服あるいは外皮であり、(最初の方で強調されるが)外を覗くために箱に開けた窓は箱男が唯一外に発する表情を作り出す「目」である。箱の内側には生活に最小限の道具を装備し、移動は頭で箱を押し上げて歩く。そのために頭には箱の座りがいいように雑誌をくくりつけ、体が箱の中で風鈴の舌のようにならないように腰にドンゴロス(麻袋)を巻いている。普通のひとが気がつかないだけで箱男は町にはたくさんいると言う。

「記録」と呼んでいるので、この本には箱男の日常生活が描写されるのだろう、と思いながら読み始めることになる。先に書いたように箱の製作方法や窓の開け方などの生活のノウハウのようなものから物語は始まる。また、なぜ箱男になったのかを語るかわりに、あるAという人物の話を主人公は「記録」に挿入する。Aはたまたま自分の住んでいるアパートの窓のすぐ下に箱男が住み着いているのを発見し、威嚇のために空気銃を箱に向かって打ち込む。その箱男はのそのそと姿を消すが、Aは自分の部屋に同じような段ボール箱を持ち込みかぶってみる。やがてAは箱をかぶったまま外に出て帰らなくなったと言う。そのようにひとはふらっと箱男になってしまう、というのである。

社会のなかにいながら社会から隔絶した生活を送っている箱男の生態が描写されるのだろうと思いながら読み進めると、始まってすぐ(文庫の40ページ目で)に主人公の箱男に事件が起こって生態描写は中断する。Aの場合と同じように空気銃で撃たれるのである。肩に怪我をするが、その場にいた自転車に乗った女に「坂の上に病院がある」と告げられて治療費と思われる3千円が箱に放り込まれる。

箱を脱いで病院に行くと自転車の女はそこの看護婦だった。医者から治療を受けた後、女から箱を5万円で譲ってくれ、と言われる。空気銃を撃ったのはその医者に違いないと箱男は考える。箱に戻って橋のたもとで雨宿りしているとレインコートを着て自転車に乗った女が橋の上に現れて、その5万円と箱を処分して欲しいと言う手紙を橋の欄干越しに箱男に向かって投げる。

あれこれ意図を推察しながら箱をかぶった格好で病院まで箱男はやってくる。外から覗き込むと部屋の中では彼とまったく同じ箱をかぶった男が中にいて、自転車の看護婦がその前で裸になっていた。箱男はこの一連の事件が理解できず、病院にいた偽箱男は空気銃を撃ち怪我を治療した医者だと思い込んで、彼があれこれと想像したことを「記録」にしたためる話で物語の中盤は占められる。「真犯人」「真相」といった言葉を使いながら彼の独りよがりの妄想は膨らんでいく。その妄想では箱男と立場を交換したい、と医者が提案する。看護婦を自由にできるというおまけ付きである。

ところが彼から見ると不可解な事件も、もう一人別の登場人物が加わって実に現実的なつじつまがあることが途中に挿入された「供述書」からわかることになる。不可解な話も拍子抜けするほど人間臭い理由があったことが中盤の最後に語られる。

物語の残りの3分の1は箱男の妄想の続きやその妄想を「記録」のなかで横取りされそうになるブツ切れの話の中に、一見無関係な短いエピソードが羅列される。Dという少年はアングルスコープ(潜望鏡)を自作する。それで外を覗いた感触は箱男が覗き窓から外を覗いたときの感慨とそっくりである。Dはアングルスコープを使って隣家のトイレを覗き込もうとする。その家には女教師が練習するピアノがあって、練習の最後にはショパンの曲を必ず弾いて終わりにする。彼女は練習が終わるとたいていトイレに向かう。そのショパンの曲を合図に少年は覗きの姿勢をとるが、残念ながらというべきか、目的を達する前に女教師に見つかり、彼女の言いなりにならざるを得なくなる。

また箱男の夢として、ある町で婚礼を予定している男の話がある。その地方では花婿は馬車で花嫁を迎えることになっているがその男は貧乏で馬がない。そこで男の父親が箱をかぶって馬となって荷馬車をひいていた。荷馬車は遅々として進まず乗り心地も悪いせいで男は催し、花嫁の家の手前で父親が一休みしたところで男は降りて立ち小便をするが、向かったその木の後ろには様子を見に来た花嫁がいた。花嫁は立ち小便を目撃して家に逃げ帰る。父親は破談を宣言してその責任を感じ、それ以降箱を脱ぐことを拒絶する。

まったく無関係に見えるエピソードだが、箱をかぶった父親はなぜか息子のことを「なあ、ショパン」と呼びかけるのである。なんでもない滑稽話のようなエピソードだけど何かがひっかかる。この「ひっかかる」感じは安部公房の小説にはよく出てくる。頻出する感覚的な描写や妙に具体的な比喩がよけい意味ありげに感じる。

読みはじめの印象のようにこの物語が箱男の生態の描写であったなら、「箱男でなくてよかった」とか「箱男がその生活から抜け出せるような社会でなければならない」あるいは「箱男もいいかも」などというような感想を抱いて読み終わるのであろう。ところがこの小説はそうではない。他人事の話ではない、かといって箱男に感情移入させようというような話でもない。ようするに安部公房は読み手を箱男にしようとたくらんでいるのである。読み手の頭蓋骨の内側を箱男の箱の内面にしようとするのである。箱の内側は裸の肉体があるだけである。物語の最後には坂の上の病院も内部が箱の内壁化していく。読み終わるとなにかざわつくような、無意識の底を棒でつつかれたような感じが残る。この感じが安部公房を読む醍醐味である。

「箱男」は、なにやら意味ありげな話が無関係に並んで、最後には発散してしまっている物語のように思える。しかし「箱男」という非常に具体的で、読みながら身体的な感触がいろいろ感じられる独立した堅い対象を通じて、ぜんぜん別の潜在意識に潜んでいる「何か」を指摘されたような感じがする。それが何なのかはよくわからない。ひょっとすると全然重要じゃないかもしれない。それが存在していることはわかったような気がするけど、読み終わってしばらくするともう見失ってわからなくなってしまう。

ところで、この文庫には僕に気に入らないことがひとつあった。本の最後にある「解説」にはなにやら難しいことが書いてあるのが僕には面白くない。解説者はもう物故しているので遠慮なく書くことにするが例えば、物語の中で「自分の記録」といいながら記述している人物が入れ替わるように書かれていることを「最初の箱男が再び記述者となって『そろそろ真相を明かすべきときが来た』などと書くが....作中人物と化し、記述者として失格するからである。...」と解説者は書く。

また、「...それに対して『箱男』では、『見る』ことが『見られる』ことを呼び、『本物』が『贋物』を誘発する。しかも相互の役割はたえず交換されるから、どちらのほうが優位ときめることもできない。ほとんどそれは、『昼』と言えば『夜』、『男』と言えば『女』、『白』と言えば『黒』と、たえず対になる言葉を誘い出す言語そのものの自立的な運動の発現に等しい」と書く。

ああ、もうでたらめ。そんな駄洒落にもならない言葉の遊びを安部公房はしているわけではないことぐらい読めばわかると思うんだけど。このとんちんかんな解説を読んだ人の誤解を少しでも減らしたいのであえて書くが、記述者の入れ替わりは、読み手に記述を入れ替わらせようとする作中人物たちの意図の現れである。彼らははじめのうち「記録」を横取りしあっているくせに最後にはそれを完全に忘れてしまって記述を放棄している。それまで物語を追いかけていた読み手が記述を続けているつもりになってくれ、と言っているのである。それは安部公房が読み手に対して張った罠のひとつでもある。僕が作者の替わりに種明かしをするなんて大それたことはもちろんやりたくないのでもうやめる。大それたことを僕はちょっと書きすぎ。

解説者は自分の混乱を無理矢理理屈をこじつけてごまかしているだけにしか思えない。解説者は「...だが、その「物語」を記録してゆく「箱男」とは誰なのか、ということになると、現代小説における作者の位置について誰でも多くのことを思いめぐらさずにはいられないはずである」と書く。そんな大上段に振りかぶった意味不明の主張で文庫の解説が終わっている。権威者がこういう硬直的な「解説」を書くことは、読んでない人から安部公房の面白さを遠ざけてしまうのでいいかげんにして欲しいんだけど。

そもそも「箱男」を読んでそんなことしか感じないの?不思議だ。自分自身はどう感じたのか、という表明は「箱男」を読んだ後では一番大切だと思うのに。
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コメント 2

まる

初めまして。もう7年ほど前のブログ記事にコメントお赦しください。昨日古本屋で何気なくこの「箱男」を手にとった者です。
先ほど読了し、すらすらと読んでしまったのに頭の中は全く整理されておらず…解説を読んでみたところ逆に違和感を感じてしまい、皆さんはどのように解釈しているのだろうと検索していてこちらのブログにたどり着きました。
記事を拝見して少しすっきりしました。私はあと数回は読み返さないと感じたことを文字にできそうもありませんが。
安部公房の他のものも読んでみたいと思います。
by まる (2017-05-13 22:12) 

decafish

コメントありがとうございます。
僕も自分の書いたものをすっかり忘れていて、他人事のように読んでしまいました。エラそうに書いてるな、と思いました。

安部公房の書くエピソードは、それぞれがどうということもないばかばかしいものでさえあるのですが、それが積み重なってくるとなにかの周りをまさぐりながらその輪郭を浮かび上がらせようとでもしているようで、不思議な感じがしてきます。その「なにか」が言葉に直接表せないような「なにか」のような気がして、その気分がなんとも言えず僕は好きです。一方で言葉だけが宙に浮いたりしない、ちゃんと手応えのあるディテールも、僕が安部公房を好きな理由の一つです。

安部公房の新作がもう読めないのは寂しいですが、僕としては安部公房好きが増えるのは喜ばしいです。
by decafish (2017-05-14 10:00) 

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