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「生物と無生物のあいだ」読了 [読書]

福岡伸一著、講談社現代新書。

ベストセラーらしい。ベストセラーは買わないようにしてるが(偏屈ジジイなので)、ジュンク堂をぶらぶらして面白そうなのもなく、たまにはよかろ、と思って買った。

腰巻きには推薦の文句が並んでいる。
中身はと言うと、文学的な饒舌体で「読み始めたら止まらない科学ミステリー」というには実に冗長。各所で延々とニューヨークやボストンの風景とそれに伴う著者の心理が描写される。日記のような焦点の定まらないままの記述がかなりの分量を占める。

はじめの方で「私は、ウィルスを生物であるとは定義しない」とあってこの本の中で探るとある。タイトルにもそのような言葉があるので著者なりの新しい「生物」の定義が語られるのであろう、と思って読んで行っても、最後まで「生物とは何々である」というような記述は出てこない。どころかウイルスの話は最初のこの部分でしか出てこない。

前半は分子生物学が成り立って行く過程の中のトピックスをいくつか拾い上げている。「分子生物学」のお話を他にも読んだ事があるなら関係者の名前ぐらいは少なくとも知っている話ではある。

脾臓の小胞体の内側に見つかったGP2というタンパク質を作る遺伝子をノックアウトしたマウスが、GP2を持ってないのに脾臓は正常に分泌顆粒を産生するという話が後半のメインになっている。せっかく苦労して積み重ねてその結果からは何も結論できないと言う事態は実は研究の分野ではよくある話で、でもこういう事は普通は「失敗例」として闇から闇ということになるので、経緯の詳細な記述は貴重ではある。きっと巧く行っていればこの人の輝かしい実績となっていたらしくて、かなり未練たらしく書かれている。こういうのは面白かった。

本の中程に「生命とは動的平衡にある流れである」と言う言葉が出てくるが、この概念自身は別に目新しくない。体を構成している分子はどんどん入れ替わっていて「去年の自分は他人」というのは中学生が冗談に使うぐらい常識化している。もちろんその上でなぜアイデンティティが保てるのか、というのは大きな問題だけど(アイデンティティとは情報パターンであるというのが最近の説明のしかたなのか。それもわかったようで良くわからん説明。2進数で表すとして何ビット以上なら個性と言えるのか?1ビットなら二通りしかなく0同士1同士を区別することはできないからあるビット長さが必要なはず)、先端の生物学者らしい見方や言葉が欲しかった。

物性屋なら例えば清浄な金属表面では原子が泡立っているような動的なイメージを持っていると思うが、生物学者は分子というのは竹ひごで繋がってる発泡スチロールの玉というイメージを未だに持ち続けてるのだろうか?

そもそも「ウィルスは生物か無生物か」なんていう命題は少なくとも僕はどうでもいい。物理過程として生物と無生物の間に違いはあるはずはなく、生物と無生物との間になにか境目があって、地続きになっていないと考える方がすごく不自然に思える。だから「ウィルスは生物か無生物か」なんて言う問いは文学的な問題でしかないように感じる。それよりも生物と無生物の間はどのように繋がっているのか、「ウィルスは結晶化する」というなら例えば金属や共有結合の結晶と違うのか違わないのか、アクリルなんかのポリマーは(普通に作ると長さがバラバラなので)結晶にはならないが、ならウィルスよりアクリルの方が生物に近いのか、なんていういくらでも思いつく疑問に答えてもらった方が面白い。

最後まで読んでみてこの人の研究者としての欠陥はこの文学性にあるような気がする。研究者としてこんな過剰に色づいた思い入れや客観化できないアナロジーは危険ではないかい?まあ、人の事だからどうでもええけど。

「ベストセラー」本を読むとなんでこれがベストセラーなのかわからないことがよくある。その事例がまたひとつ増えてしまった。


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