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読響第577定期 [クラシック]

女房のお気に入りのカンブルランが、僕の大好きなマーラーの9番を振るというので二人で行ってきた。
cambr.jpg

なかなか良かった...

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コメント欄が荒らされてる [日常のあれやこれや]

おそらくそもそもの元凶はロシアの良くないお友達のせいだ、と考えられる。手に入りにくいちょっとしたあるもののコピーをもらおうとしてメールしたら気さくに答えてくれた。彼は(彼女かもしれないけど)こんなのもあるけど、どうだ、なんて言ってくれて、ひょっとしたら親切なやつかもしれない、なんて思っていた。メールアドレスのドメインは.ruだったけど英語で通じたし。

最後のメールで、お前はブログを書いているのか、アドレスを教えてくれ、と言ってきた。日本語だからお前には読めないぞ、と書いても、いや構わない、というので教えてやった。

その直後からロシア語のコメントが入るようになった。当然中身は記事とは関係ない都会のマンション投資やバイアグラやその他よくわからないものである。同じ記事に追加するのではなくて、いろいろバラけさせてるのでそれなりに気を使ってる、というかボットで絨毯爆撃させているわけではないらしいので、人力なんだろうか。それなりに手間はかかっているように思える。

so-netブログにはコメントを削除する機能もあるけどこれはこれで面白いし、いっぱい溜まるとなにか特徴的なことがわかるかもしれない。統計上、僕のブログは閲覧数に比較してコメント数が少ないらしいし。それ以上にso-netブログの「nice!」(いわゆる1ビットの「いいね!」フラグ)は他のso-netブログの平均に比べて異常に少ないらしいし。いや、「nice!」が欲しいと言っているわけではない。僕自身は思うところがあって「nice!」あるいは「いいね!」をつけないようにしているし。

しかし、やっぱりお友達は選ばないといけないと言うことだな。でないと安倍晋三君のようになってしまう。

ところでこれにもロシア語のコメントがつくんだろうな。待っていよ。
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うははははははは! [日常のあれやこれや]

今日午後、待ちに待った例の試作レンズが入った。まず干渉縞を確認してそれらしいことがわかった(まだ定量評価できるようにはなっていない。ピエゾドライバと計算ルーチン書かなきゃ)ので、そのあとすぐ効果を確認するための光学系に組み込んだ。

天体観測用の望遠鏡では、光学系が出来上がって最初に星の像を捉えることを「First Light」と呼んでいる。僕の場合、直径5mmのただのガラス板にしか見えないものが今日やってきて、それで光学系全体にレーザの光を通してカメラで強度分布を初めて捉えることができた。僕のアイデアの「First Light」である。

その結果、去年の暮れから計算していたことは定性的には正しことがわかった。わははは、やったぜ。一方でぜんぜん想定していなかった問題がいくつか起こっていた。いまのところどれもなんでなのかまったくわからない。

しかし、色々いじっているとすごく当たり前の振る舞いに思えてきて、なんだか大したことないような気がしてきてしまった。前の会社では磁気の連中が計算と実験との乖離にいつも苦労していた(「理論不毛説」や「計算不信論」を唱える奴までいた)けど、光の場合は実験でもあまり誤差の入り込む余地がなくて、悩むことが少ない。それと僕は長いこと光の場をいじってきたせいなのか、ああ、波動方程式の通りじゃん、なんだかつまんね、と考えてることに気がついた。いやいや、オカルトじゃないんだから、それでいいんだよ、とあらためて自分に言い聞かせた。

それとは別に、「First Light」のリアルタイムのカメラ画像を今の会社の他の連中に見せても

「あっそう、うまく行きそうなんだ。よかったね」

みたいなゆるい反応しか返ってこなかった。光学の専門家が他にいないのでそんなもんといえばそんなもんやわな。ちょっと寂しい。

ああぁ、ここにその具体的な中身を書きたいいぃぃ! 仕事ネタでなければ間違いなく書いてしまってるんだけど。ああ、誰かと議論したいなあ。前の会社だといっぱいいたんだけどなあ。もちろんそんなこと言ってもしょうがないんだけど。
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日曜美術館「ルドン」 [日常のあれやこれや]

日曜美術館の再放送「見えないものを見る~オディロン・ルドンのまなざし~」を見た。メインキャスタが小野正嗣に変わった。前のは凡庸に思えてあまり面白くなかったので期待。

僕の子供の頃、ルドンはわりと好きな作家の一人だった。残念ながら本物は一枚も見たことはないけど、父が主幹をやっていた神戸市中央図書館の蔵書のなかに小さめの版の画集があってそれをなんども見た。モノクロで描かれた異形の、怪物のようだけど威嚇的ではなく弱々しかったり軟弱に笑っていたりして、普段はどこかに隠れているような、なんとなく情けない、そういう生き物たちが子供の僕には水木しげるの描く妖怪のようで、密やかで近しく見えた。

しかし僕はルドンの怪物たちに対して、もっと恐ろしげに、怪物らしくしろよ、とも思った。一つ目巨人よ、ニヤけるなよ、と思っていた。その意味では僕には物足りなくもどかしく、中途半端に思えた。図書館の大判蔵書にあったキリコのマネキンや、ダリの鶴みたいな足の象や、もっと昔のボシュのピンク色のなんだかわからない袋みたいなやつのほうが自立した怪物らしくて、ほら、こいつらのほうがずっとしゃんとしてるだろ、と思っていた。

そして、その画集の後半にあったパステル色調の花々の絵を、子供の頃の僕は大嫌いだった。僕には、ルドンが日和った、この裏切り者め、仲間だと思っていたのに卑怯者め、と感じられた。モノクロでは一つ目巨人も花も蜘蛛も三白眼を見開いてあらぬ上の方を睨んでいたのに、色がついた途端にみんな目を閉じてしまっていた。閉じた目は現実を見つめずに、自分の内側にある理想の明るい安寧な花園に閉じこもろうとしているように僕は感じた。モノクロの花たちはそれぞれが意思を持っていたのに、パステル調になるとアメーバのようなただ存在しているだけのものに思えた。

その後ルドンを意識することは50年たった今までずっとなかった。いまちょうど日本にいくつか来てるらしいので本物を見に行きたいと思っている。

放送では文学的な修辞が過剰に思えた。言葉で説明するのは必要だけど、文学的な比喩は絵画にとって逆効果になることがある。その中で鴻池朋子というゲストの言葉は作る側からの視点があって面白かった。この人、すごく頭がいいんじゃないのか、カッコよかったな。
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部品が揃ってきた [日常のあれやこれや]

こないだ発注した部品がまだ全部ではないけど、メカは数品を残してほとんど、光学部品は9割がた揃ってきて組み立てることができるので始めることにした。

4台いっぺんに組み立ててもしょうがないので、一番基本的な干渉計から。干渉計の仕様としては光源のコヒーレンシの問題があるので、いわゆるTwyman-Green型で、光路差が調整できるようにしてある。ピエゾステージでフリンジスキャンができて、最大で$\phi$10mmが測定可能(光束径は$\phi$21mm)で残留収差を引き算することで回折限界性能の測定はクリアできるようにするつもり。

バラックの汎用品を組み合わせた割には小さくできた。平面ミラー同士で干渉縞を出してみると、分離した光路は50mmほどしかないので空気の揺らぎの影響はたいしたことはないけど、床からの振動の影響は大きいことがわかった。いわゆるレイズドフロアの上に組んだせいというよりは、その下の床が振動しているらしい。壁を隔てた廊下を人が歩くと干渉縞がぶり、ぶり、と揺れる。初めからそのつもりではあったけど、やっぱり厳しい。ごく普通の中層オフィスビルなので期待する方が間違ってる、ということではある。

測定精度の上で1番のキモとなるビームスプリッタの透過波面精度が悪い。仕様では有効径(外径の85%内接円)内$\lambda/4$以下となってるんだけど、干渉縞を見た限りではギリギリという感じ($\lambda/10$の平面ミラーはその通りできているように見えた。それはミラーを回転させればわかる)。実力はもう少しいいものを期待していた。汎用品のメーカではどこも似たような仕様なので、実力も似たようなものだろう。

その昔ニコンに作ってもらった時はそれなりにお金と時間はかかったけど、こともなげに$\lambda/10$を軽くクリアするものが出来上がってきた。ニコンがやめちゃったあと、どこに頼むのがいいんだろう。汎用光学部品のメーカによっては脈理が走っていても仕様内ならOKだ、と言ってしまうところもある。そりゃそうなんだけど、脈理は厳しいよ。脈理を仕様化するのは難しいし、無理やり仕様化しても、たいていはそんなのめんどくさくて嫌だ、と言われるのがオチなんだけど。

ところで、結像系を複雑にしたくなかったので、フォーカスをずらすと結像倍率が変わってしまう。残留収差を引き算するのはいいとして、倍率を確認する手段を作っておかないとこのスプリッタの収差では測定精度$\lambda/10$だというのはかなり厳しい。

干渉計を1から立ち上げるのは10年以上ぶり。昔とは違って、華奢だけどずっと小型のアオり(面を少しだけ傾けることができる)ステージとかが手に入るので、似たような有効径でも昔よりずっと小さく組める。剛性の低下は小型化で十分補えそうである。しかし調整はずっと難しくなってしまう。

とりあえず安価な赤色半導体レーザを光源にしてデバグしている。半導体レーザは注入電流を振ることで波長がわずかに変わる。このおかげで干渉光路の光路差を簡単に合わせることができる。注入電流は自分で半田付けした回路をRaspberry Piから制御できるようにして、ゆっくりとした(3Hzぐらいの)三角波ドライブのコードを書いた。ちなみにその回路とコードは数十kHzぐらいまでなら方形波正弦波三角波で任意の深さで変調できる。干渉縞強度を無圧縮カメラで撮って、変調に同期したフレーム別に取り出せるようにして光路差を追い込んでみた。いや、ぜんぜんそこまでしなくていいことはわかっている。

会社の他の誰も知らないけど、薄暗くした部屋に閉じこもってゆらゆらする赤い干渉縞をいじりながら一人楽しんでいる。こんなことをしていると1日があっという間に過ぎてしまう。いや、ほんとに楽しい。

みなさんも機会があれば干渉計を組んでみていただきたい。ほんとに楽しいから。
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見解書が返ってきた [日常のあれやこれや]

例のアイデアにサクッと書いたPCT出願の申請に対する「見解書」が返ってきた。関連すると思われる特許をあげて「似てる」というのを「当事者であれば容易に想到し得る」という定型の文言に今回はめちゃカチンときた。そんな言葉に昔は気にもしなかったんだけど、今回は久しぶりに力の入ったアイデアの特許だったのと、(さっき気がついたんだけど)震災以降で初めての国際出願だった。つまり実に7年ぶり。

特許は請求項が全てである。アイデアの新規性はそこに表現されないといけない。そして特許はその手順に従うことで自動的に所望の機能が得られるなら、原理はわからなくてもいいことになっている。極端にいえば全くの素人でも請求項に記載された通りに実行すればその機能が得られなければいけない。

実際にはそう簡単ではないわけだし、苦労して得た自分のアイデアをそう簡単に素人にマネされても困るので、本当のキモの部分はできればわかりにくくしたい、というのもある。従って請求項をどう表現するか、という戦略がもともとのアイデアとは別に必要になる。

そのせいでアイデアの本質とは別に、自分ではそのアイデアを実現することなく、特許の存在そのものを武器にする特許ゴロみたいなものが現れることになる。昔から僕にはそんなことを許す特許制度そのものが不愉快でならない。

理想的には、本当にそれまで誰も思いつかなかったアイデアで、それによってそれまでなかった機能が実現できるなら、それに対して無条件に敬意が払われるべきである。その敬意をどう表すかは別にして、それは特許とは無関係に、請求項の文言とは無関係に、人間の生き方として、そうあるべきである。

技術が高度化して素人にそれが判断できなくなったときにそれを判断する客観的なシステムが必要となる、ということはわかる。そして特許制度はそのためのシステムとして昔からのしがらみを含めた比較的マシなものである、というのは僕も仕方なく認める。百歩譲って必要悪ぐらいに思っている。

今回返ってきた見解書は本当に単に請求項にある文言に似た記述にある特許を拾ってきて「当事者であれば容易に想到し得る」という指摘ばかりで、技術屋として心に刺さってこない。制度として仕方ないことだとは言え、なんだか悲しくなってしまった。


ということで、見解書に対するコメントをこれから書く。間に入ってる弁理士事務所も僕から見たら単なる代書屋としか思えなくて、いまいちやる気が萎える原因ともなっている。

....ケイロンは遠いなあ....
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ブリューゲル展 [日常のあれやこれや]

天気が良くて暖かかった、と言うわけでもないけど、女房と二人で「ブリューゲル展」に朝から行ってきた。それほど混んでなくてゆっくり見ることができた。ブリューゲルをこれだけいっぺんに見たのは初めてでしかも個人蔵の掘り出しも多くて、面白かった(前見た「バベルの塔展」は全てその逆で「サイテー」だった。このブログには書かなかったけど)。これは僕としてはお勧め。
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ブリューゲルといってもピーテル1世を幹に子供や孫曽孫がいてさらに工房の弟子を娘婿にしたりで大勢いて、しかもみんな細密描写を得意にしていて、絵1枚の情報量がめちゃ多いという印象で、今日見るまでは頭の中でごっちゃになっていた。ゆっくり見るとそれぞれ個性がはっきりしていることがわかった。

始祖のピーテル1世は油彩の風景画がすばらしい。丘から農村への眺めとか、岩山とか、小さな港とか、ちょっとした高みから俯瞰するような、なんでもない風景なんだけど、すごく丁寧なグラデーションで遠近感が表現されている。ほとんど筆跡の見えない細部のそれぞれその部分ごとのグラデーションが、離れて見ると全体の奥行きのなかで的確な場所に収まっている。隣に並ぶ同時代の別の画家の絵が全然のっぺりして退屈に見えた。

しかし、人物の肖像やモブシーンになるとなんとなくボスっぽくなるような気がする。若いピーテル1世にはボスは手本だったんだろうけどボスの皮肉や批判精神や悪食趣味はピーテルには合わなかったようである。しかしボスの真似をしようとして無理を重ねたような絵でも色の深みは彼らしく美しい。

息子のヤン1世は花の細密画で有名なんだけど、今回面白かったのは素描。小さな画面の粗い目の黄色っぽい紙に、薄茶のペンで風車や小さな人や遠くの建物を描いたものがある。ミニマルな線の配置と極端に淡い水彩の青が所々に置かれてるだけなんだけど、2台ある風車の遠近感の違い、その奥の遠い村、さらに遠い山が見えるか見えないかぐらいに薄い線で描き分けられている。それぞれの線は的確でしかも小さな画面全体を見ると統一感がある。

他にも風景を描いた小さな走り描きのような素描に、その場の空気まで描かれているように見えて惚れ惚れとした。描くのに何時間もかけたとは思えない、ひょっとすると写生でさえなくて思い出し描きかもしれない、というような線の集合なんだけどその的確さが見ていて心地いい。

曽孫のヤン・ファン・ケッセルという画家を僕は知らなかったんだけど、磨いた大理石の表面に蝶や蛾や蜂やバッタを描いたものは面白かった。一族伝統の細密描写を極めて博物図鑑みたいな描写を30cm角ぐらいの石の上に散りばめてある。絵の具は極端に薄くて下の大理石の模様が透けて見えている。おそらくほぼ原寸大のいろんな虫がだいたい左右対称に配置されて、なぜか真ん中にはコウモリが描かれている。磨いた石の冷たい質感の上のピン留された標本のような虫たち。なぜ惹かれるのかわからなくなる。同じ画題で2枚あったけど、なぜか右上にバッタのあるほう(左下にカマキリの方ではなくて)がずっといいように僕には思えた。自分でなんでなのか説明できない。

一方、ピーテル1世の孫のアンブロシウスや曽孫のアブラハムになると何を描きたいのかどうしたいのか僕にはわからないのが多い。単に父祖父の名声を消費しただけなんではないか、と僕には思えた。

朝一番に行って昼までゆっくり見て、そのあと地下鉄で移動して歌舞伎座近くにある女房お気に入りのトルコ料理屋でランチにした。そんなところにあるのに空いてて安くてしかもけっこう旨かった。横浜地下鉄センター南駅付近のお店は是非とも見習ってほしい。

上野までの行き帰りの電車に40分ほどかかってしまう。その行きの間にぼーっと考えていて、昨日はんだ付けしていた回路でデジトラの代わりにMOSFETを使ったほうがずっと簡単にできるところがあることに気が付いた。電車の中で女房に
「MOSFETのオン抵抗ってどのくらいだっけ?」
と訊いたけど化け屋の女房に知るはずはなかった。僕も女房もスマホは持ってないので、うちに帰ってくるまで抵抗値はオアズケになった。普通の人はその場でググることができるんだろう。まあ、そんなことは年に何回あるかというぐらいなのでそのためにスマホにするなんてことは考えられないんだけど。
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温度センサLMT01を使う [Raspberry Pi]

去年暮れから1月中ごろにかけて2ヶ月ほどずっと計算して過ごしたあと、原理試作にGOが出て評価装置の設計をしていた。それが2月初めひと段落してそれに使う部品、ほとんどが汎用品だけど合計600点ほどをThorlabsシグマ光機Edmund中央精機をはじめ小物はAmazonまで9社に一気に発注した。汎用品なのに納期に2ヶ月かかるようなものもあるし、原理試作レンズが上がってくるのが4月中ごろなので、こんどは回路図を描いて半田付けを始めた。

ずっとスイッチが入ったままの状態で4ヶ月目に突入する。やはりときどき役に立つ夢を見た。メカ設計をしていたときは光軸高さを低くするアイデアを思いついたし、つい先日回路図を描いていたときはオペアンプの数を減らす工夫を夢で見た。専門分野でなくてもこういうことがあるというのは面白い。ずっと同じことを考え続けてるわりに寝不足感や疲労をあまり感じない。残業はせずにうちに帰れば酒飲んでさっさと寝る、というのがたまたまいい方向になってる、ということだという気もする。

ここ何日か出社したらずっと半田ごてを握っていて、今日は副社長に「そこまでしなくても」と言われた。ようするにそんな誰でもできるようなことをしていないで、何かもっと意義のあることをしろ、と言うのである。しかし「妊婦が10人いても赤ん坊が1ヶ月でできるわけではない」ということわざ(違うか)の通り、律速段階を早める手段は今時点ではないので、全く他のことをするしかない。

もちろんしなければいけないことはあるけど、それこそ僕じゃなくてもできることで、たまたま今の会社では僕しかいないだけ。僕としてはそんなことをするくらいなら、いまやってることを細部まで詰めておきたい。巨費を投じた大企業の研究開発でも半田付けが一箇所ヘボだったせいで何ヶ月も遅れる、ということは有りえる。他所に投げると見えなくなるし、もし問題が出たらそのときは責任追及はできても時間を取り返すことはできない。

そもそもが、そんな大プロジェクトではなく、単なる思い付きから始まったものなので、それに見合った進め方をさせてほしい、というのが僕の気持ち。まあ、そうは言わなかったけど。

いやいや、今日はそんなことをここに書きたかったのではない。評価系を設計する中で温度制御の必要性が出てきて、どうしたものか、と考えていたときに出会った素子について。これ、結構面白いよ....

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RaspbianのMathematicaとmacOS版に対する不満 [日常のあれやこれや]

結局この土日もずっと計算を回していた。先週Photonics Westに行った会社の人たちが、こういうお客さんからこんな仕様を聞いた、こんなのできるのか?なんていうメールを僕に投げてくる。まあどうせほとんどは冷やかしなんだろうけど、ひょっとして真面目に困ってるところもあるかもしれないので真面目に答える資料を作って過ごした。

そんなことをしながらRaspbianをアップデートしたらMathematicaが最新バージョンになってた。

mathematicaVersion.png
手前下側のがMBPで動いているデスクトップ版で、後ろ上側のがVNC接続でRaspbianのMathematicaを表示させたところ。前回とまったく同じ4ヶ月遅れでちゃんとアップデートされている。これは評価できる。

ちゃんと最新の関数が動く。
GeoImage.png
これはサーバから衛星画像を読み込んで表示するGeoImageという関数。沖縄が見切れてるけど、これはRaspbianのせいではない。しかしこれをなんで新しい関数として実装しないといけなかったんだろう。昔からあるGeoGraphics関数のオプションでいいじゃん。

それはいいとして、Raspbianでは動かないのもある。例えば
imageRestyle.png
ImageRestyleはダメ。この関数はちょっと前に流行ったDeep Dreamみたいなことをする。畳み込みネットワークを使うのでメモリがたくさん必要、みたいな理由だろう。

ところで、このところ追加される関数は僕にはなんの役にも立たないものばかり。GeoImageやImageRestyleなんか本当に誰が使うんだろう、と思ってしまう。僕としてはこんなどうでもいい関数を増やすより、いいかげんmacOS版のフロントエンドを64ビットにしてほしい。

フロントエンドの負荷が増えるような作業をすると何も言わずにただクラッシュすることがある。例えばGraphics3DをIllustratorで編集できるようなフォーマットのファイルで出力するために
graphics2DElementsFrom3D[g_Graphics3D]:=Graphics[Inset[g, Automatic, Automatic, Scaled[1]]]
みたいなのを使っている(このやり方はユーザフォーラムで教えてもらった)。Graphics3DのPostScriptオブジェクトが複雑になり過ぎたせいだと思うけど、どのバージョンからかGraphics3DをPDFにExportしてもビットマップになってしまう。これではIllustratorで編集できないので、上の関数で2Dグラフィクスに変換してからExportするとPostScriptになって編集できるようになる。

ところが、ちょっと要素の多いGraphics3Dを2Dに変換しようとするとクラッシュする。作業中のウィンドウが不意に消えて、なんのログも残らないので、最初は何が起こったのかわからなかった。どうやら画像フォーマットの変換はカーネルではなくフロントエンドがやるようになってるみたいで、フロントエンドがメモリを食い尽くして死ぬらしい(クラッシュ寸前にもページは余ってるのでたぶんStack Overflow)。そしてmacOS版のフロントエンドは32ビットなのでメモリを積んでも解決しない

この問題は僕には切実なんだよな。はっきり言って毎年高い金払ってんだから、Wolfram Reseachにはこういうとこちゃんとやってほしい。Windows版とmacOS版との力の入れ具合の差だろうけど、セオドア・グレイよ、なんか言ってくれよ。ほんとに。まったく。
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なぜ私は私なのか [日常のあれやこれや]

ある人のツィートを見て思い出した。僕は子供の頃、たぶん6、7歳ごろだと思うんだけど、僕はなんで「私」という肉体に閉じ込められているのかと不思議に思っていた。

「私」という肉体が生まれる前に僕はなんだったのか、「私」という肉体が死んだあと僕はなんになるのか、いつも僕は「私」という覗き穴からしか外を見ることができないんだけど、それはなんでなのか。そもそも「外」とはなんなのか。僕じゃないものは、ではいったいなんなのか。


五十年以上経ってなんとか言語化できるけど、当時はただ「???????」だった。当然親や友人に質問するなんてことはできなかった。質問するためには言葉にしないといけなくて、それが当時の僕にはまったくできなかった。

10歳を過ぎて中学生になると疑問の形が少し変わってきた。「私」とよく似た「他の人」がいる。それはもちろん僕ではなくて、僕とは無関係な独立した存在らしい。なぜなら彼らが見ている覗き穴を僕が見ることができないからである。そもそも彼らが僕と同じように「私」という覗き穴から外を見ているのかということさえ僕にはわからない。ひょっとすると僕以外は違った方法で外を見ているのかもしれない。彼らは僕のことを肉体に閉じ込められたかわいそうな存在だと哀れんでるのかもしれない。

それとも「他の人」は僕と同じようにそれぞれの「私」という肉体に閉じ込められた人なのか。僕と同じような存在だとすると、では、なぜそれが僕ではないのか。僕が僕であると言う感覚は僕以外には持てないのではないか。なぜならそれは僕ではないわけだから。

もちろんそう言う問いも当時はどう訊けばいいのかわからなかったので、級友なんかに投げることはなかったけど、それを悩み続けているというわけではなく、何かのきっかけで思い出しては考えながらぼーっとしてるというような状態だった。

普通の人はこう言う疑問はもっと早いうちに持って、そのうち忘れてしまうんだろう。僕はなんでも遅かったので、中学になってもこんなことを考えていた。

ずっと後になって似たような哲学的な設問があることを知って、あんがい哲学もアホやな、と思った。

いまはどうかというと、それは「自意識」あるいは「自我」というものであって、進化の結果獲得した個体を維持したり制御したりということに有効な生物としての機能だと考えている。つまりは魚が水中で呼吸したり、鳥が羽で空を飛んだり、というのと同じである。右手と左足が勝手なことをしないように、あるいは指を失ったらその後不便で個体維持に支障をきたすから、肉体に対する一体感と他者との峻別のために意識が進化した、と思っている。

つまり子供の頃思っていた「私と言う肉体」と「僕」との関係は、実は逆だった、ということになる。それが感覚として受け入れられにくいというのも進化の結果だろう。個体維持には不利な材料だからである。

だから安心して死ねるか、というとそれは全然別だけど。

「水屋になおしといた片身の鯖、あれが心残りで」
これは落語「地獄八景亡者戯」の最初の登場人物が、死んで何が心残りかと問われて答えた言葉。「水屋」は関西弁で台所の戸棚のこと。彼はその鯖の半身にあたって死んだ。彼は鯖が好きだったのでどうせ死ぬなら全部食べてから死にたかったと言う。

僕も死んだらこうありたい。死んだ後には言えないのが残念だけど。
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光学実験用汎用部品の変遷 [日常のあれやこれや]

先日のアイデアはダイレクトカットレンズの決裁がおりたので、物理的に評価する準備を始めることにした。もう去年暮れからずっとスイッチが入った状態のまま、計算はひと段落させて、こんどは汎用光学部品メーカのカタログとにらめっこしてる。結局この土日もほとんど外に出ずにそうやって終わってしまった。もうそんな週末を断続的に2ヶ月近く過ごしている。

今回はざっくり4つの評価装置を立ち上げる。そのうち2つは素子そのもののパラメータの測定(ひとつは干渉計になる)のためで、残りの2つは動作評価のため。汎用メカと汎用光学素子と僕が図面を描いた少しの加工部品とで、僕が光学系を組んで回路をはんだ付けしてカメラ画像から評価値を計算するソフトを書いて立ち上げる。全部一人でやるつもりでいる。

なんでそこまで自分で全部やるかというと、装置の専門会社に任せるのに懲りたからである。僕は今の会社に移ってすぐのころ、専門の装置屋さんに自動組み立て調整設備を投げる場面に遭遇した。僕がこうしたいと言ったことがちゃんと反映されて、一応動くものが上がってきて今でも量産に使っているんだけど、出来上がった装置を見ていくと僕の気に入らないところがいっぱいあった....

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メルセンヌ素数の本 [日常のあれやこれや]

こういうの(こないだ誰かが見つけた現在最大のメルセンヌ素数の本)をシャレで作るのはいいけど、買う奴がいるというのが信じられない。

この出版元には、ぜひともこんどは100ページぐらいの正誤表を本にしてほしい。
....
第127ページ、4,106,643桁目 3(誤) → 8(正)
第139ページ、4,494,672桁目 5(誤) → 2(正)
....
とかいうの。同じ数だけ売れないとおかしいよな。

僕に言ってくれれば「2進数版」とか「16進数版」とか作ってあげられる。2進だと77,232,917文字が全部「1」だし、16進だと最初の1文字目の「1」以外19,308,229文字全部「F」だし。

「$2^n$進数版」ならどんな$n$に関しても作れるので言って欲しい。64進数以上はどんな文字を使えばいいのかわからないけど。
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「スイッチ」が入った [日常のあれやこれや]

去年の暮れに今の会社の製品としてちょうどいいアイデアを思いついた。会社のために考えていたのではなくて、もう少しで終わるところのガウシアンビームの話の締めを考えていた。ガウシアンビームの品質の目安として$M^2$の話を前回やったけど、$M^2$が目安になるのは近軸波動方程式の解のうちある条件を満たしたものだけになる。ではどういう場合に$M^2$が品質の目安とは言えなくなるか、というのを計算していて面白い振る舞いを見つけた。それがきっかけになった。

ほんとはここにどういうアイデアに基づいたなんなのかを具体的に書きたいんだけど、さすがにできない。しかしこういうとき、他の人がどうなのかよくわからないけど僕の場合、普段とはちょっと違った状態になることがある。そのことを書こう....

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日曜美術館「魂こがして 青木繁」再放送 [日常のあれやこれや]

今夜の日曜美術館は青木繁の再放送だった。出演者の石橋凌は僕と同い年だけど、キャラは暑苦しく僕には彼の言うことが理解できなかった。青木繁の代表作「海の幸」をわざわざパリまで見に行きながら団子のように固まった感慨があるだけなのは、僕にはツッコミが足りないとしか思えない。ブリジストンで見るのと何が違うんだよ。違うわけないだろ。

僕は「海の幸」が傑作なのはそこに日本人の呪術性が描かれていることだと思っている。番組の中で神輿を担ぐ男たちとの類似が語られていた。僕はまさしくその通りだと思っている。

絵に描かれた裸の男たちは漁の成果を喜んでいるようには見えない。むしろ整然と、粛々とまるで儀式を遂行しているかのように見える。儀式はもう終わるところなんだろう、男たちには呪術的儀式を滞りなく終わらせた充実感と疲労を見ることができる。いくら未開の漁村であっても全裸で漁をすることはありえない。全裸はすなわち禊(みそぎ)である。また彼らが担いでいる獲物は漁の成果ではなく、儀式の小道具であって、つまりは神輿のようなものである。

日本には季節に従った風習が残っている。節句ごとの家庭内のお祭りや正月彼岸土用や何々供養のたぐいは今でも商業主義と相まって日本人の生活に根付いている。日本人のほとんどはなんのためにあるのかわからないのに、そう言うしきたりになんとなく従っている。「敷居を踏む」「夜に爪を切る」なんていう小さなことでさえ今でも気にする人はするけど、日本人以外にはまったく意味不明である。

また「恵方巻き」のようについ最近になって企業論理に基づいて作られた物でも、なんとなくそんなものかな、と思ってしまうのは、日本の風習にありがちなパターンに馴染みがあるから受け入れられやすい、ということだと思える。

そう言う風習の多くには本来ちゃんとした起源があって、大抵呪術的な意味があった。しかし今ではその本質は忘れ去られて形だけが残ったものがほとんどである。

青木繁の「海の幸」はそういう日本人の意識されない呪術的儀式を描いたもののように僕には思える。青木繁本人も意識していたとは思えない。だからよけいに日本人がこの絵を見ると普段は気がつかないけど何百年もの習慣から染み付いた根深い澱のようなものを感じてしまうんではないか、と僕は思っている。

また例によって僕の勝手な解釈。フランス人がそれをどう見たか、は僕にはわからない。
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読響第574定期 [クラシック]

うちの女房お気に入りのカンブルラン読響の定期演奏会をふたりで聴きにいった。

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なかなか面白かった.....

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またmacOSがやらかした [日常のあれやこれや]

macOSのシステム環境設定でAppStoreの変更ロック解除パスワードがザルというバグが見つかった。僕も試してみたらどんな文字列を入れてもロック解除できた。システム環境設定の他のロック解除はとりあえずはちゃんと動いているようである。

これはすなわちシステム環境設定の左下にある鍵アイコンが単なるUIの共通化の役割しかしていない、ということである。ついこないだのrootパスワードのバグもひどかった。これも直接の影響は少ないとは言え、同じような超低レベルのバグであることは間違いない。

本来、権限取得譲渡のメカニズムは分散すべきではなく、ボトルネックでなければならない。例えば、unixの設計思想ではsetuid/setgidというシステムコールがそのボトルネックの役割を果たしていた。macOSでは必ずしもそうなっていない、ということが2回続けてバグが発覚したせいで白日のもとに明らかになった、と言える。

これは「バグ」というような生易しいものではない。システムの根幹に関わる設計思想の問題である。一方でLLVMClangという超強力な技術をバックにswiftを作り出して、ついにメモリリークフリーの世界を実現するかのような先端的なAppleの動きとの大きなギャップを、僕としては感じてしまう。

こういうほころびって僕には、優良企業が怪しくなる端緒というか兆しというか前触れに見える。思い起こせば前いた会社が十数年前、こう言うのが小さいながらもいっぱいころがってた、という気がする。いや、その会社は今でも存在してるけど、ね。
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